相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第9話「かみ合わないふたり?ここねとらんの合わせ味噌!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 「孤立」も悪いばかりではない……ということを(今までもやんわりとは描いておりましたが)けっこう明示的に描き始めるという、また物語のギアが上がるカタチで展開されてゆく今回のお話でありました。

 ま、まだ9話なのに!?

 前回のラストで提示された「テイクアウト」という方策は、基本的に家に持って帰って独りで食べるわけですから、「お店で外食」と比べると相対的に「孤立」側の要素に思えてしまうのですが、一方で、レシピッピを分散させるなどの、メリットもあると明確に描いております。

 これは、リアルの方でも、「テイクアウト」は感染対策と連動しつつ、「お店」に人が集中するのを「分散」させるというメリットは、マジであるところです。

 詳しくは前回の感想などを読んで頂きたいのですが、目下作中で問題となっているのが「固定観念」です。

 で、この「固定観念」の中でも、「二項対立」的な世界観が、ここ数話で特に問題として焦点があてられています。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第8話の感想〜固定観念(二項対立)を第三の道で解消する過程を通してジェントルーでも菓彩あまねでもない第三の道(プリキュア?)が拓かれ始める


 ごはんか? パンか? どちらかを選んでどちらかを全否定するしかないのか?(「二項対立」的な世界観)という問題に関して、「第三の道」がある! という解法の一つをみせたのが前回第8話のお話でした。うどんが、あるッ!

 その点に関して、今回は「合わせ味噌」なる、さらなる解法が提示されます。


 「違う味が仲良くなれば、味噌も人もうま味が増す。美味しい合わせ味噌のコツ。味が違えば違うほどイイって、おばあちゃんが言ってた」(キュアプレシャス)


 これは素晴らしい。

 まだ第9話ですが、ここまでの「第三の道」と「合わせ味噌」で、最終回までの課題は全部解決していけそうなくらいの勢いを感じます。

 今話の途中の段階のここねとらんのパートのように、「譲歩して相手に全面的に合わせる」だけだと、パンの人はうどんの人に全部合わせてしまって、この世界にはうどんだけが残ってしまうことになります。この世界から、パンという可能性が消えた!?

 それではいかんということで出てくる、「合わせ味噌」の概念。俺たちは、「うどんパン」でいくぜッ! みたいな発想です。劇中ではストレートに最終的に「二項対立」的に思い込みかけたパンダ(たぶん「パン」=「ここねの属性」にかけてる)とラーメン(いわずもがなの「らんの属性」)に関して、パンダがラーメン持ってるアイコンでいくぜ! という着地を見せておりましたが……。

 画期的なのは、


 「味が違えば違うほどイイ」


 の部分で、これはつまり「独立性を保ったまま合わせる」ということです。

 「独立」と「孤立」はニアイコールですから、ここで、物語当初から「孤立」という課題を抱えていた芙羽ここねさんというキャラクターが裏返り始めます。

 確かにここねさんは「孤立」していたかもしれないけれど、「孤立」していたがゆえに独自の世界観(ハムの原木削いだり、彼女、世界観独特ですよね……)を築き上げていた。

 独自の世界観であればあるほど、「合わせ味噌」理論では、効果が発揮される。

 ここねさんは「分断」と「孤立」に苦悩する現代人の象徴的な代表キャラ……といった考察を作品が始まった当初から書いておりましたが、ここにきて、「孤立」の中で培った苦悩的だが深い世界観は無意味ではない、というような話も射程に入ってきました。

 実際、コロナ禍で長い時間ずっと独りで家にいたけど、ずっと勉強していた。めっちゃ独特の世界観を構築した! みたいな人を否定するのは何か違うと思うのですよね。そういう人ほど、それこそ「合わせ味噌」理論で活かしてあげた方がイイ。

 その流れで現れる、ブンドル団の新幹部・ナルシストルーさん。まあ、「ナルシスト」なのでしょうから、めっちゃ「独自の世界観」側の人としてこの文脈で登場してきていると思われます。

 ううむ。「合わせ味噌」って言っても、子どもと子どもの掛け算程度の力では、強い大人の強大な自我の前には飲み込まれてしまうんじゃ……的な意味での強敵登場! 感あふれる展開ではあるのですが。

 ここ、少し複雑なのですが整理すると、

 とは言っても、そんな強大なナルシストルーさんの独自世界観すら、「合わせ味噌」理論では、合わせるのにイイ感じの大事な濃い味の味噌の一つとして包摂できる! っていう射程が今話で既に見え隠れするように描いてるってことだと思うのですね。

 以下、「合わせ味噌」理論で「合わせ」られそうな要素として作中で描かれている事項としては、


・ジェントルーと菓彩あまね(怪盗と生徒会長が「合わせ味噌」されたようなプリキュアとなる?)

・男と女(マリちゃんの存在)

・独占とシェア(拓海くんはゆいを独占したいが、たぶんゆいが世界を救ったりするくらいのスケールの女だと他者性的にシェアする気持ちも二律背反的に持ってそう)

・お店での外食とテイクアウト(「合わせ味噌」することで、コロナ禍における「集まれる度」みたいなものを上げることができる)


 とか色々あるのですが、この流れでコメコメがまた一段階成長するパートにつなげているのは注目したいところです。

 成長ってことなのですが、成長しての「自立」と「孤立」は表裏一体です。

 赤ちゃんの時ほど「みんな」といっしょにいないと生きられないということはなくなっていくけれど(「自立」の方向)、自分の願望にしたがって家族を捨てて夢を追うぞ個性が大事でオンリーワンな私とか言い出すくらいまで進んでいくと、「孤立」の方と相性がよくなっていきます。

 ここ100年あまりの大量生産・大量消費と資本主義が基本ルールの世界では、大人になっていくに従って「自立」したら、「家族」や「地域」といった「共同体(コミュニティ)」からは離れて「孤立」した刹那的な消費者になってもらった方が都合が良かったので、どんどんプロモーションがなされて人間を「分断」へと向かわせていったわけですが。

 その反動としての、「集まり」の再構築、「共同体」の再構築をもう一度やろうっていう近年の動きの流れの中に『デリシャスパーティプリキュア』という作品もあるわけですが、その際に、ネガティブ要素となりそうな「孤立」を前向きに包摂していこうというような、けっこう大きな視野が垣間見える作品なのですね。

 「孤立」的だけど「独自の世界観」でもある独りの自我を、「合わせ味噌」していこうという方向にしろ、それだけだと「孤立」風味だけど、知恵と工夫でむしろ「集まり」を豊穣化させられるかもしれないテイクアウトやリモートの試みにしろ。

 今話のここねとらんの「合わなさ」を、「合わせ味噌」化していくくらいなら、まあ標準的な閃きと努力と誠実な行動でできそうかなっていう感じなのですが、上述したように、より強大な自我であろうナルシストルーさんとか、「孤立」と「自立」の成長版コメコメとかも、「集まり」の中には包摂可能なんだ……という射程が見える辺は、番組のキャッチコピーである、


 ごはんは笑顔 みんなあつまれ! いただきます


 に向かって、本当に持てるリソースを総動員しており、いくばくか通常よりも上のステージを表現しようと取り組んでいるんだなということが感じられて、頼もしいと思ったりした第9話の視聴だったのでありました。

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→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第8話の感想〜固定観念(二項対立)を第三の道で解消する過程を通してジェントルーでも菓彩あまねでもない第三の道(プリキュア?)が拓かれ始めるへ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第10話の感想〜レシピッピとは何なのか、喪失とか子どもの頃の幸福とか菓彩あまねとジェントルーの状況とか色々分かってくるお話へ
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