相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第15話「ドキドキ!ここね、初めてのピクニック!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 全体的に、


「一人で食べる」―「みんなで食べる」


 の対照で進むお話でありました。

 芙羽ここねさん、第3話のラストでわりと衝撃的に一人で食べてるシーン(「みんな」で食べてるゆいたちとの対照となっていた)が描かれて以来、物語冒頭では「孤立」の要素を持っているキャラクターとして描かれていたと思います。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第3話の感想〜芙羽ここねとジェントルーは富の格差(力の偏在)で翻弄され孤立するキャラクターとして重ねて描かれている


 第4話での初変身時の口上の内容も、ざっくりとは「今までは一人が楽だと思ってたけど、『みんな』にも目覚めはじめた」といった方向の内容でした。

 それ以来、基本的にはここねの物語は「一人」から「みんな」へと向かっていくお話としてここまで描かれてきたのですが……。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第4話の感想〜親と分断された子ウサギに手を差し伸べられる自分になるということ


 この第15話にきて、今度は逆に「みんな」に振れすぎてバランスを崩し、ちょっと「一人」の良さも取り戻す、というエピソードが描かれたのでした。

 「みんな」を意識しすぎて、「食べる」素朴な楽しみを忘れてピクニックは楽しめなかった。轟さんに導かれて、「一人」であっても純粋な「食べる」楽しみがあるのはやはりよい。ざっくりとはそんな感じのお話でありました。

 明らかにソロもぐちゃん、こと轟さんの「一人」ごはんを楽しむ姿勢は否定的には描かれていないので、改めて単純な「みんな」の方が素晴らしい! という作品でもないのだな、と。

 マリちゃんのデリシャスフィールド(基本的には外界と隔離してるので「孤立」要素っぽい)、テイクアウト、リモートでのコミュニケーション……なども前向きな面も多々強調されていたので、「孤立」は否定するというよりも、昇華していく感じのニュアンスなのかな……とはこれまでも考察めいたことを書いてきたところですが。

 注目したいと思ったのは、今回ついにここねの両親について少し触れられた点です。

 ここねは、何か両親絡みの個別ストーリーがあるキャラクターだというのは、感想の最初の頃から書いていたのですが。

 轟さんが、ここねが「みんな」で食べる(ピクニック)のを楽しみにしているという話を(ここねの両親に)したら、両親が喜んでいた……という話をしたところで、意味深にここねの反応&轟さんの表情……と映されるのですよね。

 轟さんが食事もおろそかにするほど忙しかったというのも「数年前」。やはり、何か両親に関して「数年前」あたりを起点に、何かあったのがここねなのか? と気になったところだったのでした。

 リアルの方だと、「数年前」って、コロナ禍で孤食が始まった頃だったとも言えそうで、色々と深読みしたくなる部分です。

 というか、今話だけを見るなら、「みんな」で食べるのもよい、「一人」で食べるのもまたよい、そのあたりが縛られない感じ(これも、ずっと描いてきた「固定観念」から自由になる話と捉えられそうでしょうか)がなおよい、という話なので、もしかして両親との関係も、プリキュアシリーズ史上初くらいの勢いで、親といっしょに食べないのもまたヨシくらいの展開になったりするのでしょうか。

 正確には、『スター☆トゥインクルプリキュア』の香久矢まどかさんあたりは、「最後まで父親とは分かり合えなかった」エンドっぽいキャラクターであったと理解していたりしますが、その辺ともまた違う、もうちょっと前向きな、孤立であるような自立であるような、でも別にいっしょにいてもイイような関係を描こうとしているのかもしれないというか。

 今話になぞらえて、親といっしょでもイイし(「みんな」で食べてもイイし)、親と離れてもイイし(一人で食べてもイイし)、いずれにせよ幸福であればよい(楽しく「ごはん」が食べられるのがよい)、で、ほぼほぼ重なったりもします。

 こういう、一見対照的な二つの概念が両義(同時に存在)的な方向へ向かっていく……というのはいわばプリキュアシリーズの定番でもあるのですが、今回、前回までの(象徴としての)「白」と「黒」の話で、オオっと思ったのは、拓海くん、というかブラックペッパーが今回出そうとしていた(結局出さなかったけど)エネルギー波みたいなものが、あからさまに「白」と「黒」のミックスエネルギーとして描かれていた点です。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第13話の感想〜別れた「白」と「黒」が引き合い始める初動のお話


 実は、上述の「家族」に関しても、ここねとらんはふたりとも「一人」で食べてるのに(ここねは上記の第3話ラスト、らんの方は序盤の長い話数をかけて一人飯で食べ歩いている)、ここねの方は両親とはあまり触れ合いがなく、らんの方は触れ合いまくっているという、パラメータが別れる二人であったりもします。

 以上を全てまとめてみると、


 「一人で食べる」―「みんなで食べる」
 孤立―みんな
 (独占?)―シェア
 (象徴としての)「黒」―(象徴としての)「白」
 ここねは「家族」と離れがち―らんは「家族」といっしょ



 こういう事項が、それこそブラックペッパーの「白」と「黒」のミックスエネルギーのように、これらは、現在はバラバラ、「分断」されている二つのようにも思えるが、元は、というかいずれ「ミックス」的な状態も可能となり、より調和していく……という物語なのかもなとも思ったりです。

 第9話で、ここねとらんの感性の違いから、ある種の相補関係に進展するまでを、1話使って丁寧に描いたのも気になっているのですよね。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第9話の感想〜ナルシストルーさんの強大な自我も合わせ味噌できるかは分からないけれど、とりあえずパンダとラーメンのアイコンで頑張ってみる


 次回がらんの話で、この第15話と第16話は、おそらく第9話に対応するかたちでのセットのお話です。わりとストーリー全体としても重要な、「異なるものが相補的になるまで」を描くパートで、その要素を活かして、いよいよ夏の菓彩あまねの「統合」の話へと入っていくのかもしれません(ジェントルーと菓彩あまねに「分断」されていた。また、印象的に、お兄さんが「白」と「黒」の双子)。

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→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第14話の感想〜仮面で隠した小さじ一杯の本当の気持ちを胸に拓海が一つ歩を進める話へ
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