『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第18話「わたし、パフェにないたい!輝け!キュアフィナーレ!」の感想です。
ネタバレ注意です。
『デリシャスパーティプリキュア』は、価値観が多様化したり、コロナ禍でディスタンス(距離)が常態化しはじめたりして「バラバラ」になってしまった現代の人々が、「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」というそれでもまだみんなが共通して持っている記憶という旗印のもとに、再び集まってくる、「再集合」する……というコンセプトの作品なのですが。
前話と今話、というか夏のクライマックスストーリー、キュアフィナーレ登場エピソードで、課題として描かれている「バラバラ」・「分断」要素を抱えているのは、もちろん菓彩あまねです。
もう、前回の時点で周囲からはプリキュアとなる資格はあると言われています。いわば、「プリキュア共同体」に加わって、「再び集まる」状態になる準備はできているのです。
ですが、彼女は「自分には資格がない」と、それを拒否してしまう。
ゆいたちの方はめっちゃウェルカムなわけですから、この、もう集まれる準備はできているのに集まれないという状態の要因は、菓彩あまねの方、特に彼女の内面の方にあることになります。
何故、あまねが「プリキュア共同体」へと再び集まることを自分で拒否してしまうかといったら、もちろんジェントルー時代のことが引っかかってしまっているのですが、これは前話の感想で使った言葉だと「おそれ」があるから、ということになります。
この世界には十分なリソースがなく殺伐としているのだから、自分がなりたい自分(この場合はプリキュア)になること、自分が自分が望む「共同体」に加わるためには、自分自身の価値を証明しなくてはならない、という「固定観念」。そして、自分には自分の価値を証明することはできないのだから、自分の本当の望みに向かっていくことなどできない……という「おそれ」です。
ジェントルー時代というある種の「やらかし」をやってしまった自分には、もう価値がないのだという自罰の心情です。
子供から大人になる過程のどこかで「やらかし」をしてしまって、そんな自分にはもう、本来の自分を表現するなんてできないと思ってる……という現代人はリアルの方でもけっこう多そうです。
「やらかし」、あまねの場合は(本人が能動的にではないにしろ)悪事に加担してしまったということですが、これは広義には人生上のどこかでおとずれる「クライシス」のようなもので、災害にあってしまったとか、病気になってしまったとか、失職してしまったとか、視聴者それぞれの体験の「クライシス」に置き換えて解釈してみることも可能です。
そのように、過去に「クライシス」を経験してしまった者は、もう残りの人生で自分の本懐を表現するなんてことはできないのか? してはいけないのか?
という問が立ち現れるところで、この菓彩あまねの精神の拘束、物理的な拘束(モットウバウゾーにつかまれて体の自由も奪われている)に対して、まずゆいの、というかゆいのお祖母ちゃんの言葉が働きかけます。
本作では、「子どもの頃の幸せだった時間から贈られてくる言葉」というニュアンスがあるゆいのお祖母ちゃんの言葉が、あまねにこう訴えかけます。
お祖母ちゃん言ってた。
「昨日食べたものが、今日の自分をつくる。今日食べたものが、明日の自分をつくる」
過去は変えられない。
でも、未来はこの瞬間からつくっていけるんだよ。
あまねさん。明日は、どんな自分になりたい?
「どんな自分になりたい?」は、この感想で使ってきた言葉だと「本懐」ということです。自分の魂が命じていること、行きたい場所、そうありたい自分、です。
今話は、自分の魂を偽って自閉しようとしていた菓彩あまねが、ギリギリのところで自分の魂を裏切らないですむようになる話なんですね。
彼女の「なりたい自分」は、いわく、
「私は、私はみんなを笑顔にできる、パフェのような人になりたい!」(菓彩あまね)
ここで、「おそれ」が手放されて、物理的にもあまねはモットウバウゾーから自由に。
そんな、いまさら自由に自分を想い描くなんてこの世界が許さないぞとばかりに溶岩のような落石が降り注ぐ。
しかし、落石からはハート状の光(ハートフルーツペンダントはあまねの過去の幸せな時間から未来に贈られてきたもの的な位置づけの変身アイテムとなっている)によって守られる。
そこからの怒涛の、菓彩あまねの魂が裏切れないもの、「子どもの頃の幸せな時間」、「家族」との温かい時間(主に兄妹愛)、「子どもの頃の自分自身との約束」がバーっと回想で描かれるところは良かったですね。全て、『デリシャスパーティプリキュア』という作品でこれまで大事なものとして描いてきたことです。
実際、「クライシス」が起きてしまった時に、その人がもう一度立ち上がれる力をくれるもの、この現代において普遍的に訴求できるのは「家族」と「子どもの頃の幸せな時間」くらいしかない気もします。
かくして、菓彩あまね、キュアフィナーレに変身。
その姿は、かつて子どもの頃の自分が思い描いた夢=パフェを、この大人になりかける過程で世界には奪い合いの世界観とか殺伐したものもあるのも体験した自分なりに、それでも表現したものだった……
というところでモットウバウゾーを撃退し、菓彩あまねさん、「プリキュア共同体」に合流……というところで今回は引き。
『デリシャスパーティプリキュア』という作品は「再び集まる」がコンセプトであると思われるわけですが、第1話の回想でゆいが泣いていたように、悲しい経験をしてきても、まあ、別にもう一度集まろうよ、という話なのはイイですね。
マイナスな出来事があって一時「バラバラ」・「分断」が生じたとしても、それは不可逆的なものではない。過去回想でゆいと拓海はケンカして、あわや「分断」かという状態となりましたが、「ごはん」がきっかけになって笑顔になって仲直りしています。
それと重なるように今回のエピソードでも、ジェントルーにまつわる菓彩あまねの「クライシス」で、これはもう「分断」状態で、自身の魂を偽りながら本懐に自分で拘束をかけて生きていくしかないのか、とちょっと思われたけれども、意外とこの世界には「子どもの時の幸せだった頃の『ごはん』にまつわる記憶(あまねの場合はパフェや、兄たちとの関係ですね)」とか、色々セーフティネット的なものがあったりして、また「再び集まる」はできるようになっている。
大げさにいえば世界(これには自分も含まれる)に対する信頼を取り戻す物語をやっているわけで、なるほど、なんかつらいことがあったね。とりあえず「ごはん」食べて、コスプレをして(本来の自分をもう一度表現して)、友達や家族ともう一度集まってみよう……というのは、昨今特に響いたりする内容だなと思った第18話を視聴した感想だったのでした〜。
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『デリシャスパーティ?プリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意) - 少女創作ファンブログ―The Girlls Fiction Fan Blog(GFFB) https://t.co/1g39Gzrcfb …ブログ更新です。 #precure #デパプリ
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) February 6, 2022
・ブログに書ききれない考察を「つぶやき」で展開しておりました。「トゥギャッター」さんにまとめさせて頂いていたので、よろしくです(7000PV達成感謝!)。↓
●『デリシャスパーティプリキュア』第18話時点での考察のまとめ/togetter
→キュアフィナーレ(キュアフレンズぬいぐるみ)
→Blu-ray予約開始
→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第17話の感想〜奪い合いの世界観を手放して自由な組み合わせで自分の本懐を表現する時が近いというお話へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第19話の感想〜ケーキ二つ分のリソースが世界にはあると信頼し、「おそれ」を抱く誰かを癒すためにまたあつまっていく話へ
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