相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第22話「ブラペ引退!?伝説のクレープを探せ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 今話の「伝説のクレープ」が、(象徴的な意味で)何を意味しているのか?

 考察は後述するとして、「伝説のクレープ」は今回、『デリシャスパーティプリキュア』という作品のフォーマットどおり、「分断」を復元するきっかけとして機能しています。

 今話で「分断」状態にあるのは、分かりやすくはゲストキャラの、湊陽祐(みなとようすけ)さんと櫻井麻恵(さくらいあさえ)さんです。

 二人はある種のケンカの状態にあったということで、これは、これまで描かれてきた幼いゆいと拓海がケンカして「ごはん」をきっかけに仲直りした……という過去エピソード、最近の話ですと、菓彩あまねの兄のゆあんとみつきが過去にケーキの嗜好でケンカして、ケーキを二つ用意することで解決した……という過去エピソードが想起されるカタチとなっております。

 それくらい、ケンカ状態で「分断」が起こり、「ごはん」がきっかけで仲直りする……というエピソードは作中で繰り返されていますので、この要素は何らかの物語のメインエピソード(クッキングダムとブンドル団の関係など?)にもかかってくるものと推察されます。

 今回は、復元された「伝説のクレープ」をきっかけに湊陽祐さんと櫻井麻恵さんは仲直りするわけですが、では「伝説のクレープ」は何を(象徴的に)意味しているのか?

 二つあると思います。

 一つは、Rubyさんも書いてるけど、メタ要素的に、『デリシャスパーティプリキュア』というシリーズから飛び越して、プリキュアシリーズの「伝説」ポジション、初代『ふたりはプリキュア(感想)』をはじめ、過去のプリキュアシリーズを表しているという解釈です。

 それくらい、移動式販売という今話の「伝説のクレープ」屋さんの販売形態は、『初代』〜『MaxHeart(感想)』の「タコカフェ」を連想します。

 この解釈の場合は、月日の流れと共に「分断」が生じていた現代人たる我々ですが、記憶をたよりに初代『ふたりはプリキュア』のキュアブラックの絵をまた描いてみた(「思い出」をもとにした復元)。そうしたら共有していたキュアブラックの「思い出」をトリガーに、また「集まる」ことができて「分断」は解消された……みたいな流れになります。

 実際、僕も年月は経ちましたが、夢原のぞみさん(キュアドリーム)ならまだ描けます。絵を描くのもフルデジタル環境になった最近こそ、記憶をたよりにまた夢原さんを描いて、今回のクレープ復元シーンのように、「相羽さんが描くとちょっと神々しさが強くなるかな、もうちょっと薄めた方がよいんじゃない?」「分かった(そしてまた神々しく描く)」……こんな会話をしながら、かつての仲間たちと再び「集まり」たい。素朴に、こういう感覚が『デリシャスパーティプリキュア』という作品のテーマなのだろうと思います。

 二つ目は、同じように「過去の復元」を表現している題材なんだけど、メタ要素までいかずに、あくまで『デリシャスパーティプリキュア』という作品内での、物語上の過去、つまり、拓海の「源流(ルーツ)」、門平(シナモン?)関係の過去の物語を復元してゆくストーリーが今後拓海に待っている暗示を兼ねているという解釈です。

 「伝説のクレープ」屋さんが現在どうなっているのか不明瞭なのが、現在シナモンがどういう状況なのか不明瞭なのと重なりますし、いずれ、拓海自身が手を動かしてシナモンの過去の物語を復元し、向かい合っていかないとならないであろう……という物語上のベクトルとも合致しています。

 こっちの解釈の場合は、向き合い続けることを選んだ拓海は前向きな選択をしているととらえられますし、ゆいから「ありがとう」が返ってきたのは、現在は自分の選択として勝手にゆいたちを手助けしているだけだし、門平関係の「源流」にある「何か」の物語は拓海個人の課題なのかもしれないけれど、拓海は決して独りではないというのが伺えます。「源流」とか「伝説」とか、掘っていくとけっこうみんなと繋がっていくものなのです。

 今話の「分断」の復元要素は、湊陽祐さんと櫻井麻恵さんの他に、ゆいと拓海にもかかっています。

 ゆいと拓海の場合は、これはもう「思い出」を共有しています。どんな「分断」的な出来事が起ころうと、二人は過去の「思い出」を媒介に、もう一度繋がることができるはず。既に何度も本作で描かれてきたメッセージがまさに体現されている関係です。

 一方で、同一人物ではあるのですが、キュアプレシャスとブラックペッパーは? となると、これは今のところお互いが知っている情報だけだと、ほぼほぼ「思い出」の共有みたいな要素はありません。

 ポイントは、それでも今回プレシャスはブラックペッパーに「ありがとう」と返している点です。

 つまり、「源流」の部分の物語で繋がり、「思い出」を共有しているようなゆいと拓海の関係で「分断」は乗り越えてゆける、それはもちろんイイ。

 一方で、「源流」で特に何を共有しているわけでもない、でも「分断」とかない感謝し合える関係をここから新しく始めていっても、それもイイ。

 両方のベクトルがあってオッケーっていう状態でこそ、「世界」はより「自由」になっているということです。

 前者のみだと、若干息苦しいのですよね。

 「源流」とか深堀していくと繋がっている。「思い出」も共有している。もちろんイイことなのですが、「源流」がネガティブなものだと明らかになったりしてしまうと、急にこの面だけに依拠した関係は「呪い」みたいな不自由な感じのものとなってしまいます。

 特に、作劇を省察してみると、ジェントルー→キュアフィナーレの流れの物語と、品田拓海の物語は何らかの(テーマ的な)対応関係がある感じで進んでるっぽいので、拓海がこの先門平関係の「源流」と向き合っていったら、何らかのアイデンティティクライシスが待っている……という可能性はあるわけです。菓彩あまねがジェントルーという「過去」が要因でアイデンティティクライシスに陥ったように。

 そういう時です。「源流」とかまあ別にイイから、ここから未来に向かってなりたい自分、そうありたい他者との関係をつくっていこう、という「かろやかさ」が生きてくるのは。あまねがキュアフィナーレに変身した時も、だいたいはこの「かろやかさ」を纏えたがゆえの、自由な精神に基づいての変身でした。「初代」の雪城ほのかさんが言っていたところの「心の中の宇宙は自由」のあり方ですね。

 このブログの感想では「固定観念」という言葉を使っていましたけれど、「源流」も「思い出」も力や「集まれる」きっかけをくれるのでありがたいのですが、そこに囚われすぎると、「呪い」となって未来の自分への制限になってきたりもします。

 そういう「制限」は、なさそうな「かろやかさ」が、ゆいと拓海には、プレシャスとブラックペッパーとの間にはあるんだなと感じられる点で、今回の後半パートはとても良かったと思うのでした。

 いつか、拓海の「源流」から何かがやってきて、彼の自由を「制限」しようとするかもしれないが、そういうの関係なく、拓海はゆいを好きでいてイイし、「俺も『ごはんは笑顔』を守ってみせる」と言ってみてもイイし、いきなりペッパーミルスピンキックしてみてもよい。

 レシピ(基本的には過去からくるもの)を尊重する態度と、新しいレシピをつくる態度とを、「両義(同時に成立する)」にしていくといった方向性です。

 お祖母ちゃん世代の「源流」や「思い出」を大事にするベクトルと、そこに囚われすぎないでここから「未来」に「自由」に選択していってイイというベクトルと、両方ある感じが好ましいと思って視聴していたりする作品なのでした〜。

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『デリシャスパーティプリキュア』第22話時点での考察のまとめ/togetter

→ブラックペッパー(ぬいぐるみ)



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→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第21話の感想〜「終わり」にまつわる歴代プリキュアシリーズのテーマも含めて情緒的に描いた神回へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第23話の感想〜神の舌以前の「思い出」と周囲の助力で再会してディスコミュニケーションが解けていくお話へ
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