相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第24話「コメコメなんて知らない!波乱のピザパーティ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 今話も「ケンカ」からの「仲直り」モチーフのお話です。

 幼い頃のゆいと拓海のケンカからの「ごはん」をきっかけとした仲直りのエピソード、菓彩あまねの兄、ゆあんとみつきの過去のケーキにまつわるケンカと仲直りのエピソード、他にもゲストキャラのエピソードにもケンカから仲直りのエピソードがたいへんに多く、それゆえに当ブログでは『デリシャスパーティプリキュア』の物語全体の要素としても(クッキングダムとブンドル団関係の話とか)、ケンカ〜仲直りの流れが仕込まれているのだろうと推察している要素です。

 今回のコメコメとパムパムのケンカ〜仲直りの流れも、上記の枠組みの中で展開されている話であると思われます。

 良かったのが、コメコメが「特別なエナジー妖精」であるという設定から生じる、コメコメとパムパムの間にある「非対称性」を無効化して仲直りするエピソードになっていた点です。

 ケンカって、まあ第1話の感想から書いてる「分断」の状態だと思うのですが、「分断」が生じる原因、「共有体験が失われた」とか「固定観念」とか「ディスコミュニケーション」とか、色々考察してきましたが、「相手を特別視することで『非対称』な関係が築かれてしまう」も、バリバリの「分断」要素という感じです。

 分類としては「固定観念」に入ると思うのですが、私とあなたは対等な関係じゃない、どちらかが特別だ特別じゃない、上だ下だとか、「非対称」な関係なんだ、という「固定観念」が形成されてしまったとしたら、それはもう「分断」が起こります。

 仮に、「コメコメは『特別なエナジー妖精』なんだから自分を抑圧しても相手の方を立てないと」とかって態度をパムパムが実行してしまったら、もうこれはコメコメとパムパムは「分断」になっちゃってたわけです。

 それを回避したのは、前回の流れを汲んでいて上手いなと思ったのですが、「ちゃんとコミュニケーションをとること」でした。特に「伝える」ことは大事なことだと描かれています。

 パムパムが、ちゃんと今のコメコメには不満があるぞと伝えていたのが、けっこうエピソード全体ではポジティブな描写として位置付けられているのですね。

 と、パムパムとのケンカ〜仲直りの体験も経て、コメコメがさらに成長するのですが。

 どうも、映画のプロモーションなども参考すると、今回の「非対称性の無効化」という題材は、今話ではコメコメとパムパムの間の物語でしたが、映画に向けては「ゆいとコメコメの非対称性」の問題として設定されていくみたいですね。

 コメコメはゆいに助けられてばかり(関係が非対称的)、それでイイのか、的な話。

 ゆいとコメコメの関係は、明らかに「親と子」の関係の比喩として描かれていますから、より普遍的には「親と子の関係は『非対称』なのか? そうじゃない関係があるとしたら?」といったテーマでしょうか。

 そういえば、前回のここねとここねの親のエピソードも、もろに親と子の間に「非対称性」にもとづく「分断」が生じかけていて、その崩れかけたバランスを回復する話として解釈可能ですね。こういう、色々と繋がってる感じはとても好きです。

 さらに、何度か書いてますが、劇中のゆいとコメコメの関係は、「かつてゆいのお祖母ちゃんがゆいに向けていた眼差しを、追体験として今、ゆいはコメコメに向けている」という構造になってますから、上記の話はいよいよ、「ルーツ」や「バックボーン」の話にも繋がっていきます。

 何となく、『デリシャスパーティプリキュア』は「ルーツ」にある何らかの「呪い(のようなもの)」を解く物語なのかなと感じ始めていますが(特に拓海近辺の物語)、先祖とかの「ルーツ」、親などとの関係が「非対称」だと確かに「呪い」めいてくるかなと思ったりはします。

 ご先祖様や親が圧倒的に力を持っていて、今を生きてる人間、子(ゆい世代)、未来の世代(コメコメ世代)との関係がとても「非対称」だとしたら、やはり「呪い」めいてきます。

 そうではなくて、ご先祖様や親との関係も健康的であるなら、これは、過去の世代の力も、子の、未来世代の前向きな力になります。

 ここ数話、プリキュアサイドと、特にナルシストルーが明らかに対照として描かれていますが、このあたりが両者を描き分けてるポイントなのかなと。

 ゆいは、「ルーツ」、お祖母ちゃんから健康的に力を受け取っています(お祖母ちゃんの言葉は作中でとても前向きな要素)。一方でナルシストルーは、そもそも名前が「ナルシスト」からきてるので、そういう歴史的な文脈を絶って「自分だけ」という感じがしますし、唯一ゴーダッツ様(親的なポジション)からは力を受け取ってますが、なんか、ゴーダッツ様関係は、まだ「過去の呪い」関係の雰囲気を感じます。

 そういう感じで。

 他者(過去の人も含む)との関係を「非対称」ではなく、調和するように各々が本来性を前提にコミュニケーションできる関係にあるか。

 過去との関係を健康的なものにして、そこから力を受け取って前向きに未来に進んでいけるか。

 そのあたりが、今後の物語を読み解いていく鍵になるのかなと思ったりした、第24話の視聴だったのでした〜。

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『デリシャスパーティプリキュア』第24話時点での考察のまとめ/togetter

→映画主題歌



→Blu-ray、Amazonさんの全巻購入セットの特典イラストの情報が出たのです。油布さんの描きおろしなのです。



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第23話の感想〜神の舌以前の「思い出」と周囲の助力で再会してディスコミュニケーションが解けていくお話へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第25話の感想〜写真に残らない目に見えない無形の優しさの延長線上を生きているということへ
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