相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第25話「新たな怪盗!?にこにこキャンプでごわす!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 まず、あまねがスピリットルーの存在を「お化け」なんじゃないかと、ちょっと怖がり、ちょっと困惑する……という前半で描かれるパートがあるのですが。

 ここでは、「お化け」=「目に見えないもの」「不確かなもの」……ということで、今話は「目に見えないもの」がテーマなんだよ、と、視聴者を物語の主題へと誘っていく役割を担ってるパートとなっております。

 と、「目に見えないもの」から繋がる今話の核心の話にいく前に、閑話休題的に、今回から新登場のブンドル団幹部・スピリットルーさんの興味深い点について、三点書いておきます。


A. デリシャストーンの力で動いているらしく、いよいよクッキングダムとブンドル団は、源流の同じ力から別れた力を使っている……という考察が有力になってきた

 当ブログではけっこう以前から書いていた、源流の「白」と「黒」から、別れた力をクッキングダムとブンドル団とで使ってるという考察を参照して頂けたらと思います。↓


『デリシャスパーティプリキュア』第13話の感想〜別れた「白」と「黒」が引き合い始める初動のお話


 加えて、その点に気づくのがマリちゃんということで、マリちゃんといえばシナモン関係のメインストーリーに縁が深い……ということで、源流の力が別れた頃の「何か」にシナモンさん関係のお話が関わってくるのであろう、というのも、僕の中ではほぼほぼ確信めいてきました。


B. 機械(ロボット)なので、「ごはん」を食べる共有体験がない

 「そもそも食べることそのものが時間の無駄。一分一秒を惜しんで、前進あるのみでごわす」(スピリットルー)


 マジで、食事自体を必要としないのだとしたら、「ごはん」を媒介にした共有体験で「集まり」を復元していく……という『デリシャスパーティプリキュア』のテーマ的にはわりと強敵です。

 本当、どうなるんだろう。スピリットルーさんにもロボなりのエネルギー補給活動があって、それが「ごはん」に相当するという方向か、あるいは、必ずしも「ごはん」を媒介にしなくても「集まり」は可能……というところまでテーマの射程を広げる契機になるキャラクターだったりするのか。


C. 「親子」要素も入ってる

 ゆいとコメコメの擬似親子をはじめ、最近だと第23話(感想)のここねとここねの両親のエピソードなど、「再び集まる」というテーマにあたって、「親子」の(何らかの)「分断」状態からの、「対称性」の回復……というのが大事な要素として描かれている(親と子が条件でお互いを支配し合うような関係でなく、本来性のままいっしょにいられるような関係を前向きに描いているということ)のが顕著ですが、その観点からみると、ナルシストルーとスピリットルーが擬似「親子」的な関係……ということになります。

 これは、ナルシストルーさんも自我の檻(「ナルシスト」ですからね。)から自由になって、人間関係の「対称性」を回復する物語、くる? そこまでやってくれたら感無量ですが。


 閑話休題。

 さて、「目に見えないもの」を題材とした今話の核心ですが。

 これは、写真(記録)に残ってない、目に見えない「何か」の延長線上で、今、私たちは生きている……というエピソードが今話だったということです。

 今回のゆいのお祖母ちゃんの言葉、「おむすびはコメだけにしてならず」は、第11話(感想)の、


 「お米が農家の人たちに大切に育てられて、収穫されて、それをお母さんが炊いてくれるところを想像してごらんって。今までより、美味しく感じられそうじゃない? 勉強って色んなことを知って、色んな想像ができるようになるためにするんだよって。おばあちゃん言ってた。」(和実ゆい)


 とかなりニュアンスが似ています。

 要するに、表面的に目に見える部分として今世界に出現してる大事なものが成立するまでに、「目に見えない」繋がりが、(あるいは「源流」から)続いているということです。

 マリちゃんいわく、


 「写真がなくても大丈夫。こんなにモリモリで素敵な一日。大人になってもずっと忘れないものよ」(ローズマリー)


 今話のここねやらんが写真(記録)に残さなかったような、「無形の優しさ」は、父母世代にもお祖父ちゃん・お祖母ちゃん世代にも、きっとあった。それは、目には見えにくいものだけど、確かに今の私たちを守ってくれている。

(ちなみに、この連綿と繋がっている「目に見えないもの」が、ネガティブなものだと反転すると、ここ最近の感想で書いてた「呪い」となります。)

 名もなきお姉さんが着火剤を提供してくれるところが、今話の最高のハイライトです。


 「こういう時は、お互い様ですよ」(名もなき眼鏡のお姉さん)


 名もなきお姉さんの向こう側には「目に見えない」「無形の優しさ」があって、そこからリレーを繋いで、最後にゆいが点火する……という流れが、

 バトルパートでみんなで繋いで繋いで、最後にプレシャスが新必殺技2000キロカロリーパンチを撃ち込む! という流れと、完全にシンクロする演出で描かれていました。

 ここにいる私という切り離された個体だけで戦っているのではない。「目に見えない」「無形の優しさ」を受け取りながら、これまでの全部の延長線上で存在する自分という何かが、戦っている。普段は「目に見えない」から「お化け」めいているかもしれないけど、意外と、「イイ」何かだったりもすることがある。

 ラストシーン、作中で一番「無形の優しさ」を受け取りながら生きてるキャラクターといえるらん(以前の感想で書いている通り、「家族」関係が満ちているというのがらんというキャラクターの重要な要素だから)が、普段は写真大好きなのに、星空を写真におさめるのをやめます。

 きっと、らんのお父さんとお母さんの、らんの知らない記録に残ってない「無形の優しさ」があった。それは、写真に残ってないけど、確かに「あった」もので、現在のらんが成立するのに、確かに意味を与えている。

 あるいは、今日らんが記録に残さなかった美しい星空という「無形の優しさ」も、らんの子世代に続いていくのかもしれない。

 第1話(感想)冒頭の、レシピッピがもう同年代の子には「見えない」ことに、ちょっとだけ悲しそうだったゆいのシーンを昇華する道筋が、見えてきたような気がします。レシピッピ(思い出)は、有形のものとしてはいつか見えなくなるのかもしれない。けれども、「目に見えない」「無形の優しさ」は各人の中で生きている。

 ゆいがいつかお祖母ちゃんの言葉を忘れても(これまで、ゆいもお祖母ちゃんの言葉がうろ覚えになってきてる様子が描かれている。)、お祖母ちゃんにもらった「無形の優しさ」は、絶対にゆいの中に生きている。

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『デリシャスパーティプリキュア』第25話時点での考察のまとめ/togetter

→映画主題歌



→Blu-ray、Amazonさんの全巻購入セットの特典イラストの情報が出たのです。油布さんの描きおろしなのです。



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第24話の感想〜コメコメを特別視せず対称な関係でいることがやがて過去の呪いが解けていくのに繋がってゆくという話へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第26話の感想〜ピーマン分断を乗り越えここねとコメコメは共同体での楽しさを深め、スピリットルーさんはそれを理解し難いお話
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