相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第27話「コメコメ大変化!?らんのハッピー計画」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 まず、華満らんさんの「マシマシハッピーモード」なる状態が今回の起点です。

 らん、いわく、


 「らんらんの中でマシマシにあふれたハッピーを、まわりにバンバン渡したいってこと〜」(華満らん)


 と、自分がたいへんハッピーなので周囲にも幸せを分かち合っていこうという、プリキュアシリーズ的には、悲壮感のない「幸せの王子」(『ドキドキ!プリキュア』)的なコンセプトです。


参考:プリキュア雑記(2013年9月5日/テーマが光り始めるこの時期)


 その上で、らんがハッピーを渡す相手として、コメコメとスピリットルーが「対照」として描かれる……というのが今話です。

 この二人は、擬似的な「子」ポジションとして描かれているのが、共通しています。

 コメコメは、「親」ポジションのゆいたちから(今話では特にらんから)影響を受けています。

 スピリットルーも、彼を作った「親」ポジションのナルシストルーの影響下にあります。


 こうしてみますと、一番近くでは「親」ですが、もっと遡ることも可能で(ゆいの方は、ゆいのお祖母ちゃんに影響を受けているのが顕著ですね)、今回も過去とか「源流」から繋がっているものを、「呪い」ととって今の自分に制限をかけてしまうか(「固定観念」関連の話など)「前向きな受け継いでいる力」として受け取って未来を切り開く力に変えるか、という『デリシャスパーティプリキュア』でずっと描かれてきたことが凝縮されているエピソードであるといえそうです。

 コメコメの方は、ゆいたちに加えて「源流」に1世がいる(コメコメは2世)情報が開示され、おそらくは1世の方から受け継いでいる「しっぽ」と「耳」を、当初は否定的に捉えてしまうのですが(「呪い」「固定観念」パターン)、らんとの交流を通して(まさにらんからハッピーを渡されて)、「前向きな受け継いでいる力(固有性)」として受け取り直す。自分自身を再アイデンティファイする(連動して、姿もさらに変化)という流れが描かれます。

 白米モチーフのコメコメは「特別なエナジー妖精」で、おそらく「源流」の「白」の力と関係が深いと当ブログの感想では考察しているので……


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第13話の感想〜別れた「白」と「黒」が引き合い始める初動のお話


 今話で、「源流(コメコメ1世?)」から受け継いでいるものを「呪い」ではなく「前向きな受け継いでいる力(固有性)」として改めて受け取れるようになったがゆえに、過去からの「白」の力も(さらに)解放可能に。次回、コメコメ関係の合体必殺技登場(たぶん)という流れは素敵だと思いました。

 一方、スピリットルーの方は、ナルシストルーという「源流」の影響を受けているのですが、スピリットルーの中のデータには、ナルシストルーの中にあるものしかない(まさに「ナルシスト」的に自分だけで閉じてるという話なのですね)ということで、制限を受けてしまっています。過去からの制限を受けるのはこれまで「固定観念」がらみのエピソードで描いてきたように、未来の可能性を狭めますから、こちらは「呪い」になってしまっています。

 そんな、「呪い」による「制限」状態にあり、「ごはんが元気をくれる」というテーゼが理解できないスピリットルーに対して、ゆいが、その閉じた状態を開くかもしれないようなキーを投げかけるのですが。


 「それ。それだよ。ごはんも応援も同じだよ。美味しいごはんは元気をくれるし、誰かといっしょに美味しいねって言い合えるのも、すっごく元気をもらえる。ピカピカのお米でできたおむすびなんて、幸せって思うんだ」(和実ゆい)


 それでも、今話時点では、


 「ごはんが、元気を? ごはんが元気をくれるなどというデータはどこにもないでごわす」(スピリットルー)


 と、スピリットルーは「ごはんが元気をくれる」を理解できず。

 らん(ヤムヤム)が、


 「知ってほしい。ごはんを食べることって、すごくハッピーだってこと」(キュアヤムヤム)


 と、ある意味パワープレイでスピリットルーにハッピー注入を試みるまで……が今回です。

 らんの、「マシマシハッピーモード」のハッピーを、コメコメは受け取れて可能性を拡張したのに、スピリットルーはまだ受け取りきれない。

 この違いは、コメコメの方が外部(ゆいたちをはじめ、今回では、りん、るん、などからも色々と受け取っている)に開かれているのに対して、スピリットルーは(ナルシストルーのデータ内にとどまって)外部に開かれていないために、他者から受け取って未来の可能性を拡張できないというところからきているようです。

 スピリットルーの問題のように見えつつ、スピリットルーのデータはナルシストルーにあるものだけを反映していますから、「ごはんにまつわる幸せな思い出がない」「自分だけで閉じている」は、より核心的にはナルシストルーの問題となっています。

 確かに、これまでのエピソードでもナルシストルーは「ごはんと幸せ」に関するプリキュアたちの言葉を嘲るような言動を繰り返しており、そこから推察すると、ナルシストルーは自分自身に「ごはん」に関する「幸せ」な思い出がないゆえに、その負のエネルギーを周囲にまで拡張させて他者の「ごはんにまつわる幸せな思い出」を奪い、さらにはそのあり方を「子」ポジションのスピリットルーにまで「呪い」的に課しているという状態だということになります。

 ナルシストルーはどうなるのか?

 そういった、「源流」から「子」の代へ「呪い」を課すような存在はもう排除するしかないと、たとえば『プリキュア5』方式で撃破する(『5』ではガマオくんとか爆砕しています。)パターンも考えられますが、少し希望的に感じるのは、いよいよ「呪い」に相対する次回の前の今回のエピソードの担当キャラクターが、らんであった点。

 らんは、第7話(感想)で「家族」(これも一つの「源流」)から受け取っている情熱をジェントルーにぶつけて、ジェントルーをバグらせています(ジェントルーが頭痛を感じて、アイデンティティクライシスを起こし菓彩あまねへと立ち返っていくのは、ここでらんの情熱を浴びて以降です。)。

 そんならんだったら、そんならんの「マシマシハッピーモード」に、コメコメの力も乗るような、強い光のエネルギーだったら、ナルシストルーの内部にある闇を、かき消すとまで言わずとも、バグらせたりはできるような予感もするのです。

 というわけで、らんが渡そうとするハッピーの受け取り手として、コメコメとスピリットルーを「対照」で描きながら、「前向きな受け継いでいる力(固有性)」(それは、コメコメのしっぽや耳に宿るありのままで本来的な力を解放し、そのまま受け取る類のもの)の光は、これまでずっと課題として描かれてきた過去や「源流」からの「呪い」を内在するナルシストルーの闇を照らすことは可能なのか? というあたりまでの前置きを整えている(本番はおそらく次回)、エキサイティングなエピソードだと思った、第27話視聴の感想だったのでした〜。

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『デリシャスパーティプリキュア』第27話時点での考察のまとめ/togetter

→映画主題歌



→Blu-ray、Amazonさんの全巻購入セットの特典イラストの情報が出たのです。油布さんの描きおろしなのです。



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第26話の感想〜ピーマン分断を乗り越えここねとコメコメは共同体での楽しさを深め、スピリットルーさんはそれを理解し難いお話
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第28話の感想〜コメコメを中心に本来性の共同体が発現するも呪いが解けないナルシストルーにはまだ届かないというお話
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