相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第28話「コメコメの力をみんなに…!パーティキャンドルタクト!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 今回のお話は、テーマ的にも前回の第27話から繋がっているお話なので、まだ読んでいないという方は、いつにも増して前回の第27話の感想を読んでから今回の感想を読んで頂けたら幸いなのでした。↓


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第27話の感想〜らんのハッピーが伝わりコメコメは自分の本来性を受け取り直し、スピリットルーはナルシストルーの呪いでまだ閉じたままというお話


 前回の第27話は、ざっくりとは、過去からの「呪い(「固定観念」でマイナスの影響として受け取ってしまうものなど)」を解いて、過去からの力を「前向きな受け継いでいる力(固有性)」として受け取り直す……というお話でした。

 前回の時点で、コメコメは「源流(過去)」であるコメコメ1世から受け継いでいる耳、しっぽといった要素を、自分の本来性でもある前向きなものとして受け取り直すことができたのですが。

 今話では、パムパムの発言をきっかけに、今度はコメコメ1世(「源流(過去)」)があまりに(力的に)偉大すぎて、そのレベルに到達できない自分はダメなやつだ……と自分自身を否定的に捉えてしまう……という、前回とはまた別な形でコメコメ1世(「源流(過去)」)のことを「呪い」として捉えかけてしまうという事象が生じます。

 自分(コメコメ2世)もコメコメ1世(「源流(過去)」)のような巨大な力を発揮しなくてはならない! というのは、まさにこれまでのエピソードで描いてきた「固定観念」なので、やはり「源流(過去)」が「呪い」として機能しかけてしまっています。

 不自然にコメコメ1世に自分を寄せようと、しっぽを膨らませようとするも、失敗。大きなしっぽ、巨大な力というのは、コメコメ2世の本来性とはちょっと違うのです。
(ちなみに、キツネ型のもののけとか妖怪とかそういうので、「尾」に力がある……というのは、リアルの方の伝説・伝承要素です。)。

 コメコメ1世(「源流(過去)」)のように、巨大な力を発揮する方向でゆいたちの助けになることができない。できない自分はダメなやつだと自分を否定的にとらえるコメコメに、ゆいが言います。


 「たとえコメコメでも、私の大好きなコメコメをダメだなんていうのは許さない」(和実ゆい)


(ここ、繰り返しになりますが、ゆいとコメコメは擬似「親子」関係として描かれていますので、このシーンは親が子にかける言葉。子が親に返す行動……というシーンとして描かれていますね。)

 コメコメ1世(「源流(過去)」)とは違う、このコメコメの、本来性のままのコメコメといっしょにいて、ゆいたちは幸せだった。いつもそばにいてくれてありがとう。

 ここで、コメコメが本来の自分と再契約して、コメコメ1世(「源流(過去)」)から伝わっていた力が「呪い」から「前向きな受け継いでいる力」に変わります。


 「お祖母ちゃん言ってた。幸せの味は、明日への道標」(和実ゆい)


 (おそらく)単体で巨大な力を有していたコメコメ1世(「源流(過去)」)からベースは継承しつつも、幸せだった「共有体験」から未来に向かって放たれるという、まさにコメコメ、お米を中心とした「パーティ(あつまり)」的な力が発動。

 パーティキャンドルタクトは、コメコメ1世の力だけじゃなくて、このコメコメ(2世)の本来性がプラスアルファとして加わってる技的な表現になっているのですよね。

 「幸せ」が周囲に伝播するように(プリキュアシリーズで描いてきた『幸福の王子』理論)、「本来性に立ちかえる」ということも周囲に伝播する。プレシャス、スパイシー、ヤムヤム、フィナーレの衣装が、より彼女たち一人一人の本来性が開花したようなヴァージョンにモードチェンジ。プレシャスは和装だ! お米と稲穂と和と託宣(「未来」要素)で「共同体(パーティ)」をつくった巫女だ! 卑弥呼だ!



 各々の本来性を開花させて、かつ「パーティ(あつまり)」を形成するという奔流の中で、その流れと対照されるかたちで、いよいよナルシストルーというキャラクターが掘り下げられていきます。

 ナルシストルーの過去回想。みんなが「ごはん」で幸せな「共有体験」をつくっている中、ナルシストルーはそれに参加することができない。

 本作、『デリシャスパーティプリキュア』は、第1話の感想から書いているとおり、そもそもリアルの方のコロナ禍をきっかけとした「分断」や「孤食」を前提とした問題意識のもと、「再び集まる」という方向に向かっていく物語でありますから。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)


 ナルシストルー、新型コロナ罹患を連想させる味覚障害として描くとかなのかな。

 いずれにせよ、「ごはん」や「味覚」で楽しんだり人と交流したりができない個人的な事情があるのは明らかな模様。今話のコメコメとは逆の、「あつまり」による「幸せ」の輪には、入れなかった側の人間。

 前回、「子」ポジションのスピリットルーが「親」ポジションのナルシストルーの「呪い」を受けているということを書きましたが、ナルシストルー自身が、さらに「源流(過去)」の人物なり出来事なりから、「呪い」を受け取ってしまっている人間。

 なんらかの「源流(過去)」に起因する、コロナ的なるもののために、本来性を全うするような生き方はできなかった人間。

 これ、ここねのエピソードとか、本作で必ずしも「孤立」や「孤食」を否定的に描いてこなかったのは、ここでナルシストルー救済に向かい始めるための仕込みなのかな。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第20話の感想〜芙羽ここねと菓彩あまねの交流が徐々に二項対立を和らげ軽やかな世界を描き出してゆく


 たとえば新型コロナ罹患で味覚・嗅覚障害が続いている人に、やっぱり幸せは「あつまり(パーティ)」ですよ、「ごはん」の元にもう一度集いましょう! ってリアル宴会に誘うのはかなり違うよな。

 家で、一人で(なんらかのかたちで限定的になるかもしれないけど)食べられるものを食べていた方がよい。集まるっていうんなら、それこそ否定的には描いてこなかったリモートとかで。

 ナルシストルー的なるものも含めて、世界はできているという意識が感じられる作品。

 どうも、作品の雰囲気的に、ナルシストルー的なるものは排除するしかないよね、という方向には行かなそうな予感がするので、となると、ここから当初我々が想像もしなかったような「ごはん」の希望・可能性を描いていくものと思われます。

 最後にどのような「共同体(パーティ)」像を描き出して結びとするのか、ここからの後半戦、終盤戦がとても楽しみなのでした。

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『デリシャスパーティプリキュア』第28話時点での考察のまとめ/togetter

→コメコメ(キュアフレンズぬいぐるみ)



→Blu-ray、Amazonさんの全巻購入セットの特典イラストの情報が出たのです。油布さんの描きおろしなのです。



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第27話の感想〜らんのハッピーが伝わりコメコメは自分の本来性を受け取り直し、スピリットルーはナルシストルーの呪いでまだ閉じたままというお話
→次回:『映画デリシャスパーティプリキュア 夢みるお子さまランチ!』の感想〜8年前のイノセントな気持ちをお子さまランチにしてわけてゆく(ネタバレ注意)へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第31話の感想〜生まれた場所との再契約という拓海の物語に繋がりそうな前段階のお話へ
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