『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第43話「レシピボン発動!おいしーなタウンの危機」の感想です。
ネタバレ注意です。
結論からいうと、全ての料理の記憶・存在がなくなる中でゆいが「おむすび」を思い出すことができたのは、作中の「白」の力のおかげであると推察されます。
『デリシャスパーティプリキュア』作中には「黒」の力と「白」の力の二つが存在しており、それぞれに特性があり、それぞれに物語論的象徴を持っている……という考察は、当ブログでは第13話の感想の時点で書いておりました。↓
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第13話の感想〜別れた「白」と「黒」が引き合い始める初動のお話
ざっくりと、二つの力について確認しておくと。
「黒」の力は「閉じる」力です。主に記憶を閉じるのに使われて、ジェントルー時代にあまねの記憶を封じていたのはこの力です。あまねがジェントルーへと再洗脳される際には、印象的に錠前(閉じるイメージ)の姿で描かれてたりもします。
今回、全ての料理の記憶・存在を消したのも、この「黒」の力の方です。印象的に、レシピボンが「閉じる」絵が表現されてもいます。
一方、「白」の力の方は「開く」力です。上記リンクの記事の考察時点ではまだボンヤリとしか分かってなかったのですが、話数もここまで進むとだいぶ分かります。より具体的には、過去、未来(?)、他の世界(?)などへの扉(道?)を開いて、時空をつなげる力がこの「白」の力です。
コメコメとプレシャスが「白」の力を持っているのはそこかしこで描写されていたのですが(どちらも、メインカラーに「白」がありますよね。)、第38話(感想)のコメコメの力での過去への移動、前話のブンドル団アジトからの時空移動での退避……などは、分かりやすくコメコメの「白」の力が発揮された例です。
で、今回は、圧倒的なゴーダッツ様&レシピボン(を悪用したケース)の「黒」の力で全ての料理の記憶・存在が消えるという絶対絶命の中、最後の切り札として残っていた「白」の力が発現して、ゆいは「おむすび」を思い出した、というかたちです。
どういうことか?
ゆいが自分の名前の意味(結)を知ったのがきっかけで起動するように、招き猫を媒介にして別の時空に(「おむすび」の)バックアップがとってあったのではないかと。
作中でずっと印象的に描かれてきた「招き猫」が、「別の時空から招く」の意味合いも持っていたという、象徴表現としても熱い感じです。
「別の時空」ってどこだよ!? という話となるのですが、この場合はボンヤリと「神様の世界」のような場所、としか言えない感じですかね(笑)。
やや宗教観とかが含まれる部分で、うちのブログでは以前から書いてた、キュアプレシャスは(ビジュアルとか的に)巫女を連想させる……という説もあながち遠からずだったのではないかという気がしております。↓
コメコメ1世が卑弥呼で2世が壱与。邪馬台国は壱与の代で途絶えるけど、それから時が流れた令和の世に、お米(ごはん)共同体をバッドエンドを回避して再集合…という願いの物語。1世とゆいがコメコメの先代として重なり、プレシャスが稲穂で卑弥呼モチーフだと仮定すると全てが繋がります。 #precure
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) September 18, 2022
何らかの「別の時空」、「神様の世界」のような場所と、巫女をとおして通じる・縁を結ぶ……というのは、伝統的に宗教観として「あるある」なのですよね。特に今回は「お米」が重要な意味を持ってますから、やはりお米の国のイメージがある邪馬台国とか、卑弥呼とかは連想してしまいます(プレシャスのビジュアル、卑弥呼感ありますよね?)。
そう、「お米」(色は「白」)。
コメコメと同様にプレシャス、というかゆいも時空をつなげる「白」の力を持っていたのが、今回まさに人と人を、世界と世界を「結ぶ」という彼女の天命と共に顕現するわけですが。
「おむすびの花」というイメージと共に現れる、あまたのお米。
どこからきたのか? と言われれば、上記の話の流れから「別の時空」からきたのだと思われます。過去の世界のお米、未来の世界のお米、並行世界(?)のお米、おいしーなタウンにたくさん設置されていた「招き猫」は、それらを「招く」召喚装置のようなものだったと。
総じて表現しているのは、この世界には十分なリソース(お米)がある、という世界観です。
そもそもゴーダッツ様側の、奪うとか独占とかの行いは、「この世界には十分なリソースがない」という「欠乏感」が前提の世界観(そしてそれは「固定観念」なのですが……)からきているのですね。
十分なリソースがなくて有限で限られているから、奪わなければならない、独占を目指さなければならない、競争しなくてはならない。
この資源(リソース)には限りがあるという誤解(と言ってしまいますが)が、自分には価値がないという誤解を生む原因だったりします。限りがあるという前提だからこそ、なぜ他人ではなく、自分が受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に価値があることを証明する必要があると思ってる。
セクレトルーさんの過度の「完璧主義」なんかも、この「限りがあるという前提だからこそ、なぜ他人ではなく、自分が受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に価値があることを証明する必要があると思ってる。」という強迫観念が前提にあったりします。
そういう、強迫観念的・固定観念的世界観に対して、「え? お米(リソース)とか、みんなで分け合えるだけ十分にあるから?」と、世界観の更新を試みたのが今話の「あまたのお米が降り注ぐ」風景です。
同じ2022年メイン時点の作品で、『ONE PIECE(ワンピース)』でDr.ベガパンクが、同じく「見えてないだけでエネルギーは十分にある」世界観を提示しようとしていたのには、ちょっと時代性のようなものを感じたりもしますね。
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(『週刊少年ジャンプ 2023年 1号』「ONE PIECE」第1068話 尾田栄一郎/集英社 より引用) )
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リアルの方にちょっと話を寄せてみるなら、資源獲得競争とかも、現実的には大事ではあるのですが、そちらはやはり「この世界には十分なリソースがない」という「欠乏感」の世界観が前提になってるフシがあります。
そっちはそっちでやりつつも、技術開発や創作による「見え方」の転換などをとおして、「リソースとか、みんなで分け合えるだけ十分にあるから?」の世界観の方に現実を向かわせていった方が良い気も個人的にはしております。
自分の原点、自分の「本来のかたち」のようなものにかえった時、この「この世界には十分なリソースがない」という「欠乏感」の世界観は手放されて、「限りがあるという前提だからこそ、なぜ他人ではなく、自分が受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に価値があることを証明する必要があると思ってる。」という強迫観念が手放されるというも興味深いです。
ゴーダッツ様はまだ手放せていませんが、拓海は今話時点で手放しましたね。
当ブログの感想でずっと書いてきたように、「ゆいを独占したい」という気持ち、ある意味「ブンドル団」側の気持ちも持っている人間として描かれていたのが品田拓海というキャラクターでした(ブラックペッパーの仮面もブンドル団の仮面と似てる感じになっている)。
拓海は今話で「味つけに迷ったら大切な人の笑顔に答えはある」のよねさんの言葉に回帰し、「これで本当に大切な笑顔を守れるのかって。そう思ったら、答えはすぐに見つかった」という境地に達します。
「ゆいの笑顔」という答えに到達した拓海は、「なぜ他人ではなく、自分がゆいを受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に(ゆいにふさわしいだけの)価値があることを証明する必要があると思ってる。」という強迫観念を手放します。
ただ、ゆいが笑顔でいてくれればイイ。
デリシャストーンは身代わりに砕け散りました。ブラックペッパーという(実はけっこういびつなあり方でもあった)ヒーローごっこも終わりです。
ゆいに対して、「守ってやる」が前面に出ていたのが、「信じてる」に変わります。
初代『ふたりはプリキュアMaxHeart』最終回(感想)でキュアホワイト、「白」の雪城ほのかさんが言っていた「心の中の宇宙の自由」。
ただ、彼女(ゆい)の自由を尊重するということ。彼女なら、前話の拓海のように父への仕打ちに対する復讐心や暴力に走ろうとしてしまった方向とは異なる、「ごはんは笑顔」の結末を招き寄せることができると信じてる。
自分が愛する人への、信頼。
「守ってやる」じゃなくて「信じてる」だから「対称」な関係、「シンメトリー」な絵での拳合わせ。この拓海くんの愛の深さはヤバいですよ(笑)。
かくして、和実ゆいという人間の「心の中の宇宙の自由」、「本来のかたち」は、おばあちゃんがつけてくれた名前の由来に根ざして、「人と人、想いと想いを結ぶ人」でした。
思えば、ゆいという人間をとおして結ばれた人と人。
最終局面でセクレトルーさんとはつこさんの結びつきが重要なファクターとして描かれていますが、この二人の縁も、ゆいがあまねと縁を結び、あまねと縁あったセクレトルーさんがやってきた、ゆいがここねと縁を結び、ここねの母のはつこがやってきた、という流れなので、中心にゆいという「結び人」がいるのでした。
『デリシャスパーティプリキュア』は「偏在(富の偏り)」と「遍在(あまねく行き渡る富は可能なのか)」の物語でもありましたが。↓
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第3話の感想〜芙羽ここねとジェントルーは富の格差(力の偏在)で翻弄され孤立するキャラクターとして重ねて描かれている
富の偏在の勝者のはつこと敗者(と便宜上言ってしまいますが)のセクレトルーさんが結びついたことで、この主題も決着した感じです。
「遍在」、上記したように、あまねく行き渡るリソース(とりあえずはお米だが……)はあるという前提の世界観に更新可能なのだから、セクレトルーさんも「完璧主義」で「限りがあるという前提だからこそ、なぜ他人ではなく、自分が受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に価値があることを証明する必要があると思ってる。」という強迫観念で、リソースの強奪を目指す必要はもうないのだ……。
料理が上手で、何歳くらいで結婚して・出産して、年収もいくらくらい稼いで、とかとか、そういった「条件」を満たして自分には価値があるのだと証明しないと、「世界」という「パーティ」に入れてもらえないとか、そんなことはなかったんや……。
セクレトルーさんはセクレトルーさんでよかったんや……。
『デリシャスパーティプリキュア』という物語の核心は、第1話の感想で書いたとおり、↓
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)
コロナ禍とかのリアル世相も反映しつつの、「分断」からの「再集合」です。
まさに、主人公のゆいが「再集合」に必要な「結ぶ」人だった! という熱い展開で最終戦へ。
「ジンジャーさん。あなたの想い、結ぶから」(和実ゆい)
この物語の大きい部分は、ローズマリー、フェンネル、シナモン(当時はまだ名前出てなかったけど)の三人に起こってしまった「分断」からの、「再集合」までの物語だと第2話の感想時点で書いておりました。↓
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第2話の感想〜今はバラバラな三人と三人を結ぶ幸せな記憶から贈られる言葉
「倒す」ではなく「結ぶ」とゆいは言っています。
前話でローズマリー、フェンネル、シナモンの大人世代三人だけでは、拓海を入れて男だけでは「リソースに限りがあるから奪い合うしかない、戦い合うしかない」世界観を崩せなくて戦い合う(「分断」)しか無かった点を踏まえた上で、
「人と人、想いと想いを結ぶ人」、主人公・和実ゆいが最終(たぶん)変身。
次回決着で、最終回で第1話の感想から書いてる、「大・共同体」、「限りがあるという前提だからこそ、なぜ他人ではなく、自分が受け取るべきなのか、人々に説明しなければならないと感じている。自分に価値があることを証明する必要があると思ってる。」なんてことがなくてもみんな(いくつかの意味で)いっしょにいられる「パーティ(あつまり)」が世界に出現しそうで楽しみです。
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『デリシャスパーティ?プリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意) - 少女創作ファンブログ―The Girlls Fiction Fan Blog(GFFB) https://t.co/1g39Gzrcfb …ブログ更新です。 #precure #デパプリ
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) February 6, 2022
・ブログに書ききれない考察を「つぶやき」で展開しておりました。「トゥギャッター」さんにまとめさせて頂いていたので、よろしくです(11000PV達成感謝!)。↓
●『デリシャスパーティプリキュア』第43話時点での考察のまとめ/togetter
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・当ブログの映画の感想はこちら。
→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第41話の感想〜過去の人間関係のやらかしを引きずって感情を爆発させる大人たちの呪いに子世代は巻き込まれないといいね的なお話へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第44話の感想〜無限の世界観をパンチで、有限の世界観の中で得られなかった自分の無価値感に苛まれる大人に撃ち込むということへ
→『デリシャスパーティプリキュア』感想の目次へ