『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第44話「シェアリンエナジー!ありがとうを重ねて」の感想です。
ネタバレ注意です。
フェンネルが抱えている問題は、まず「(世界の)リソースは有限である」という前提の世界観があり、そこから「愛情も有限である」に結び付けてしまって、「なら(ジンジャーの)愛情は独占しなくてはならない」まで行ってしまっているというものです(世界中の料理の独占とか世界の支配とかは、ジンジャーの愛情の独占が叶わなかったという思い込みの裏返し。)。
リアル世界でも、資源獲得競争から、いわゆる恋愛資本主義とか言われる愛情の獲得ゲームとか実際にあるわけで、上記のフェンネルの問題を解消する理論構築をどうするのかと思ったのですが。
1. 「リソースは無限である」という世界観に更新する
2. 関連して「愛情も無限である。というか、合理主義や数字主義に還元できない領域である」という世界観に更新する
3. その更新された世界観をパンチで打ち込む
という順番で展開して、わりと僕の感覚では理路整然と解決まで持っていっていたのが印象的でありました。
まず、「リソースは無限である」という世界観に更新する……という部分ですが、前回の感想で書いたとおり、前話の無数に降り注ぐ「おむすびの花」の風景で表現していたのは、リソース(おむすび、お米、リソースですよね……)が無限にある世界、という世界観であるというのをもう一度確認しておきます。
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第43話の感想〜自分は愛し愛される価値がある人間だと証明する必要があるという強迫観念に囚われることなんてなかったのだといったお話
リソースが無限にある前提の世界観になったので、有限のリソースを奪い合わなくてよい、むしろ分け合える、シェアできる、という世界観です。
とはいえ、リソースが無限とかあり得ないでしょ、と言いたくなる気持ちはわかるので、ある程度理屈で補強はしています。
ジンジャーさんが準備していた「ほかほかハート」の蓄積装置で、時間を超えて垂直(歴史)の分のリソースも使うことができる……とか、シナモンが世界中を巡る際に招き猫をお土産に置いていたので、水平(地理)の分のリソースも使うことができる……とかです。垂直と水平が掛け合わせると、感覚的にもほぼほぼ無限感は出てくるので、このリソースが無限! 感はかなり出ていたと思います。
で、このどちらかというと物理的なリソースは無限! という話が、愛情を中心に、いよいよ精神的なものに関しても無限! という方向に拡張されていくのですが……。
印象的に使われている、「ありがとう」の気持ちとか、「お腹いっぱい」パンチとか、どちらも、ほぼほぼ「有限」の領域を超えた「無限」の精神概念なんですね。
「ありがとうは心のあつあつごはん」という(おばあちゃんのものではない)ゆいの言葉が出るシーンでも、一人一人にありがとうを伝えていくところ、イイ感じに、有限のありがとうの気持ちを分割して一人一人に縮小して伝えてるわけではないんだな感が出ていたと思います。一つ一つが、全部本物のありがとうなんだよ、という方向です。
今まで何キロカロリーパンチと数字表現されていたプレシャスの必殺パンチが、最後は「お腹いっぱい」という無限の精神概念になっていたのはもっと顕著です。たとえ5000キロカロリーあっても、数字の領域にいるうちは、分割したらどんどん減っていくけど、これはもう、そういうんじゃなくて無限の領域の「お腹いっぱい」なわけなので、世界中のみんながお腹いっぱいというのも可能な概念です。
デリシャストーンはまだ物質ですので、分け合うとか分け合ったら減るとかが意識されやすいですが、そこからグっと「ありがとうの気持ち」のような、物質的でもなければ数字的でもない精神的概念にフィールドを移してきている感じでもあります。
そして、そのように更新された世界観を、パンチで打ち込む。
パンチにいくところの最後のバトルの直前に、「とりもどそう。みんなの笑顔」という主人公のプレシャスの言葉で 挿入歌『キズナスペシャリティ』がかかりはじめるのもイイ。
リアルで直近で意識されるのはコロナ禍での孤食とかですが、何らかのかたちで「分断」が起きて笑顔が消えていた状況から、再び「あつまり(パーティ)」と笑顔を再生するまでがこの『デリシャスパーティプリキュア』という作品だったのでした。
「これは私が感じて考えたこと。私自身の言葉」(和実ゆい)
って。
ゆい自身も39話でおばあちゃんの言葉を踏まえて自分の言葉を語り出すまでは、自分の中がおばあちゃんでいっぱいに埋まっていて、それはジンジャーで今も全てが埋まっているフェンネルと鏡合わせなんですよね。
それが、一人一人にありがとうを伝えていくシーンで顕著に感じられるのですが、今のゆいにはおばあちゃん以外にも、ここねやらんやあまねやみんながいる。もう、おばあちゃんだけの世界にいるわけではない。
物語序盤こそ、問題を抱えていたそれぞれの登場人物(ここねとか、「孤立」の問題を抱えているように描かれていましたよね……)をゆいが救いあげていくかのようなフォーマットに一見捉えられるように描かれていましたが、実は最後になってみると、それぞれの存在との新たな結びつきに救われていたのはゆいの方だったというのはイイですね。
そういった新しい友だちたちとの結びつきもあって世界が広がったから、自分という世界に余白が生まれ、故人との関係を受け取り直す余裕も生まれます。
「たとえもう会えなくとも。交わした言葉から想いは受け取れる」(和実ゆい)
この境地に達することができるには、逆説的に友だちやみんなと結びついて世界を広げていく段階がまずは必要だったみたいな描き方なんですよね。
パンチにいくところで、あの世のおばあちゃんと会話してるのがよかった。あの世との交流が可能(これは掘り下げていくと、伝統的、宗教的な日本の文化でもあるのですが)で、そちらの人からも何かが受け取ることができるのだとしたら、いよいよ世界のリソースは無限って感じになってくるじゃないですか。
パンチで打ち込むのは荒技ですが、こういう満たされている感覚って、伝播するものなんですよね。
打ち込まれて、おそらくフェンネルも全部ジンジャーで埋まっていた世界に、余白が生まれざるを得なくなる。世界が広がらざるを得なくなる。
世界が広がった上で、フェンネルが(ジンジャーのもろもろとか)受け取り直せるのかはまだ分からないですが。
全ては「有限」だから分け合えば減るという世界観。そんな前提の世界観で愛情が自分には十分には与えられなかったと思い込み、だったら競争で獲得せねばと駆られる。独占せねばとまで思い詰める。自分は獲得するに値する人間なんだと必死に証明しようとする。
証明できなかったとしたら(そっち側は「競争」の世界なので、むしろ大部分の人間は勝てずに証明できない)、自身に無価値感を感じてしまい、時にそれが自棄(自殺など)に至ったり、時にその自棄衝動に世界の方を巻き込もうとしてしまったりする。
そういう大人は、います。
広範囲に現代人が抱えている痛みなので、泣いているフェンネルに心を寄せて自分も涙するマリちゃん……という絵はよかったです。
余裕、余白がある人間が、余白を伝えることが大事だったりします。
余白がないと、未来に繋がっていかないので。
フェンネルが余白を受け取って、未来に新しい何かを書き込もうとまで思ってくれるかはまだ分からないけど、人との結びつきがあり、無限を宿し、余白がある側の人間として、落ちていくフェンネルを追ったゆい……のところで既に尊い感じです。伝わるかは分からないけど、行くしかないし、行ける人間なんだよな……。
うちのブログの感想を読んでくださっていた方には伝わってると思われる通り、最終戦で巨大招き猫が活躍する展開も、水平(地理)の助力の象徴の一つとしてマイラ王女が機能するのも早くから読んでいたので、ふっふ、俺くらいの歴戦のプリキュア視聴者になると、けっこう読めるんだぜ……と若干不遜になりかけていたのですが、ゆいが「結」から、さらに「∞(無限大マーク)」が「結び目」モチーフで、そもそもプレシャスの衣装のリボンが結び目仕様だったのが、「無限の世界観」という最終解答に必要な要素を既に表現していた、というのは読めてなくて、本日分かって「こわっ」、プリキュアスタッフはやっぱり「ヤバい」……となりました。
繰り返しになりますが、フェンネルが受け取ってくれるかまでは分からないけれど、「無限の世界観」は何かしら世界を広げる方向のもので、そこから次回作・20周年記念作『ひろがるスカイ!プリキュア』に、「広がる」「ヒーローガール」と繋がっていくのは綺麗です。
そうして、その余白から生まれた「広がり」は、うちのブログでは第1話の感想から書いていた「大・共同体」的なものの出現に必要なものと思われます。
参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)
次回最終回、おそらく何らかのかたちでの「大・共同体」的なパーティ(あつまり)が再生・拡張されて終劇と思われます。垂直(歴史)と水平(地理)を踏まえて受け取りながら、盛大に未来に向かって広がっていって終わってほしい。最高に熱い最終戦からの、「次」へのバトン的な「結ぶ」締めになりそうなのだなという感想なのでした。
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『デリシャスパーティ?プリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意) - 少女創作ファンブログ―The Girlls Fiction Fan Blog(GFFB) https://t.co/1g39Gzrcfb …ブログ更新です。 #precure #デパプリ
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) February 6, 2022
・ブログに書ききれない考察を「つぶやき」で展開しておりました。「トゥギャッター」さんにまとめさせて頂いていたので、よろしくです(11000PV達成感謝!)。↓
●『デリシャスパーティプリキュア』第44話時点での考察のまとめ/togetter
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・当ブログの映画の感想はこちら。
→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第43話の感想〜自分は愛し愛される価値がある人間だと証明する必要があるという強迫観念に囚われることなんてなかったのだといったお話
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』最終回の感想〜複数系統のリソース・複数の世界に基いた無限の世界観で結び合う「大ごはん共同体」が生まれて広がっていくへ
→『デリシャスパーティプリキュア』感想の目次へ