相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第45話(最終回)「デリシャスマイル〜!みんなあつまれ!いただきます!!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 やや抽象的な話から入りますが、『デリシャスパーティプリキュア』は、表面的な現象の部分では分断されているのだけど、より深奥の本質的な部分では繋がり合っている、結び合っている……という世界観を掘り下げていった物語でした。

 これをシンプルなカタチに言い換えると、


 表面的な「現象」のレイヤーではリソースは有限

 だけど、

 深層的な「愛」のレイヤーではリソースは無限(で、様々なもの・こと・人が結び合っている)



 という世界観を描いた物語であったと言うことができます。

 最終回冒頭、もう神話論的・物語論的には、いわゆる「あの世(の狭間)からの帰還」的なシチェーションで、不思議な境界領域的な場所でのゆいとフェンネルの対話が描かれるのですね。

 『デリシャスパーティプリキュア』は主人公の実存の物語としては、おばあちゃんを喪った喪失を抱えていた和実ゆいという主人公が立ち直るまでの物語です。

 様々な「分断」からの「結び直し」までが描かれていた本作。「死別」は最たる「分断」的な事象であるのですが。

 当初おばあちゃんでいっぱいになっていたゆいが、ここね、らん、あまねをはじめ、新しい人々との新たな結びつきを獲得していく物語全体の過程をとおして、おばあちゃんとの結びつきは減るどころか、逆説的に表面的な「現象」のレイヤーでは死別でおばあちゃんと「分断」されていたが深層的な「愛」のレイヤーでは今でもおばあちゃんとも結ばれているという世界観(あるいは死生観)へとゆいの世界が広がっていく第38話以降の、怒涛の主人公・ゆいの物語の進行……の部分ですね。)というのが描かれます。

 前回の感想で書いたとおり、このような「無限」の愛に到達した人のオーラのようなものは周囲へと伝わりますから、まずは先行してゆいがその境地に到達して、ゆいと鏡合わせでジンジャーとの「分断」に苦しんでいたフェンネルに、その世界観が伝わっていくみたいな順番なのですね。

 それは、ゆいも言っていたとおり「いつか」と言うくらい時間がかかるであろうことなのですが(リアルでも、「死別」に一区切りがつけられるまでにはある程度時間がかかります。)、このゆいとフェンネルが対話している境界領域的な場所は深層的な「愛」のレイヤーに近い場所でもありますので、フェンネルは表面的な「現象」のレイヤー(象徴はスペシャルデリシャストーンという物質的な石)では「分断」されていたと思ったジンジャーから、招き猫に撫でられるというかたちで、ああ、深層的な「愛」のレイヤーではジンジャーと「無限」的な結びつきがあったのかもしれないな……ということを、受け取れそうな希望が描かれてこのパートは一区切りしています。第41話でゆいが渡しそびれたおむすび、ようやっと受け取ってくれました。

 もうほぼほぼ神話論的・物語論的には「異界(冥界)からの帰還」とかの文脈の絵ですが、プレシャスが一度死んだ(という暗喩でしょう)フェンネルを招き猫に乗せて光の中降りてくる絵は感動的でありました。うちのブログでずっと書いてたキュアプレシャス=巫女(的な象徴)説も成就した感じがありました。

 さて、表面的な「現象」のレイヤーにおけるリソースは有限という世界観の中で苦しんでいたのは、フェンネルだけではありませんでした。最終回で明かされるのは、マリちゃんがプリキュア(的なる者)に憧れていたけど、プリキュアにはなれなかった大人……というポジションだったという事実です。

 前回、涙を流すゴーダッツ(フェンネル)をみて、マリちゃんも涙を流すのですが……。

 ジンジャーの喪失という悲しい出来事を共有しているから流れる涙というだけではなくて。

 フェンネル、というか現代人の大人に「あるある」でもある、呪い的な生き方。

 全ては「有限」だから分け合えば減るという世界観。そんな前提の世界観で愛情が自分には十分には与えられなかった(与えられないかもしれない)と思い込み、だったら競争で獲得せねばと駆られる。自分は獲得するに値する人間なんだと必死に証明しようとする。

 証明できなかったとしたら(そっち側は「競争」の世界なので、むしろ大部分の人間は勝てずに証明できない)、自身に無価値感を感じてしまい、時にそれが自棄(自殺など)に至ったり、時にその自棄衝動に世界の方を巻き込もうとしてしまったりする。

 マリちゃんのメイクの試行錯誤や美への追求心は前向きなものとして描かれていた感が強かったですが、マリちゃんなりに「プリキュアにはなれない自分は何とかして自分の価値を証明しなくてはならない」と駆られてやってきたことだった面もあるのかもしれない。

 実際、第1話では自棄的にデリシャスフィールドに一人で入って、全部自分で背負い込もうとしていました。自身への無価値感に世界の方を巻き込もうとしたフェンネルとはまた違ったカタチですが、女性としてプリキュア的な「強く美しい存在」の完成形には至れないマリちゃん(だからこそ、セクレトルーに完璧主義は苦しいと諭すシーンの深みも増します)もまた、自分の価値を証明しようともがきながら大人になった人間で、フェンネルと同じように自身への無価値感をどこか感じている人間だったのかもしれない。それゆえの、現代に生きる大人としての悲しみの共感の涙だったのかもしれない。

 そんな、自棄的に閉じた場所に入って「こんな私なんか……」という方向の意識を膨らませる方に行きかけたマリちゃんというところで、何言ってんだ! (リソースは)「無限」だ! 「ごはん」だ! こんな「現象」のレイヤーのデリシャスフィールドで「分断」しようとか関係ないから! 「愛」のレイヤーでは結ばれ合っているから! 無価値感?何言ってるんだ! 「ごはん」だ! とゆいが強引にマリちゃんの閉じかけた世界に飛び込んできてくれるの、最終回まで観てから思い返すとすごいイイ第1話ですよね。

 最終回まで物語が進行して、前回の感想で書いたとおり「有限」の世界観から「無限」の世界観への更新が始まりましたから、そんなマリちゃんもラストではスッキリとした表情をしています。もともと作中の解答に近いところにいた人でもあったと思いますが、改めてプリキュアはプリキュア、私は私でイイという境地になっているといった印象を受けたのでした。

 では、マリちゃんのような「プリキュアにはなれなかった大人」でも前向きに幸せに生きていける「無限」の世界観の世界ってどんな感じなのか?

 一つは、セクレトルーさんの「やり直し」の過程でヒントを見せている感じです。ブンドル団の時と違って、出所したらはつこさんの近くで働きたい! と、めっちゃ仕事をやる気になってます。

 プリキュアじゃなくてもイイ(マリちゃんの話)し、完璧じゃなくてもイイ(セクレトルーの話)、自分を全うしていこうぜって流れになっていってるのですが、こういった前向きな変化の土台になっているのが、


 複数系統のリソース・複数の世界……にもとづいた「無限」の世界観


 って、ことだと思います。

 作中でオルタナティブ(代案)として新たに提示されている「無限」の世界観をもうちょっと構造的にみていくと、前回の感想で書いた垂直(歴史)と水平(地理)からリソースを受け取って掛け合わせる……に加えて、この「複数」というのが重要だというのが、最終回まで観た今だと理解できます。



 Rubyさんのこのツイートが、ほぼほぼ作中解のコアにせまっている印象ですね。

 「複数系統のリソース」については、振り返ると、デパプリは本当この話が多かったなというのが分かるのですが、一番はやはり、主人公のゆいが、ちょっとおばあちゃんという一系統のリソースに傾きがちだった子が、ここね、らん、あまねらやみんなとの出会いと関係の進展をとおして、複数系統のリソースに開いていく変化を描いた物語であった、というあたりに顕著な感じです。

 これが、「食べ物」「料理」モチーフにつながっていた作品だったというのが今なら分かるのですが、わりと子供向け番組として正しく、一つの料理(食材)だけを食べるのじゃなくて、色々な種類の料理(食材)をちょうどよく食べようね、という、本当にほぼほぼ普遍的な道徳という勢いで伝えられている「当たり前」を題材にしていたとも言えそうだということです。

 これを、もうちょっと大人向けに解釈すると、様々なレセプター(受け取る素地)を開いておくことが、「無限」の世界観にアクセスすることには大事だ、ということを描いていた作品ということになるでしょうか。

 一つのレセプターしか開いていないような閉じた大人(これが、ジンジャー、しかもジンジャーのスペシャルデリシャストーンという部分という一つのレセプターしか開いてなかったフェンネルという大人なのですが)だと、一系統のリソースしか受け取れないのですよ。それでは、「無限」のリソースは受け取れない。だから複数系統のレセプターを開いていられる大人になろうねって作品だったという感じです。

 いやもう、「有限」の世界観で奪い合い、競争し合い、殺伐としてるのはもう嫌です、視聴者たる私たちもまじ「無限」の世界観に行きたいんで、複数系統のレセプターを開くにはどうすればイイんですか? って話なのですが。

 ここが、「複数の世界」というモチーフで、「次」につながる描写として描かれていたと思います。

 「複数の世界」を体験した方が、複数のレセプターが開けるというシンプルな話なのですが、最終回では、印象的にたくさんの「複数の世界」の体験(への示唆)が描かれています。

 ざっとでも、


・外国の方向けに料理を工夫するあきほさん(料理の系統を複数の世界に合わせて複数化してる)
・ナルシストルーに世界にはもっと色々な料理があると語るマリちゃんに、セクレトルーさんの言葉をヒントに自分でも美味しく食べられる新しい料理の開発に開眼しそうにもなるナルシストルー(料理の世界観の複数化)
・拓海とゆいが、世界中の招き猫を訪れる旅に出そうな示唆(「複数の世界」を体験する旅に出る)


 とかですが。

 表面的な「現象」のレイヤーで例えば「リモート」状態と離れていても、深層的な「愛」のレイヤーでは結び合っているという境地を描き出したのを踏まえて(芙羽家族の最終形態とかがまさにこれでしたね……)。

 「愛」のレイヤーでは結ばれていると分かってるから、そこには「安心」があり、逆説的に「複数の世界」へと旅に出る前向きな気持ちが湧いてきます。

 というわけで、このテーゼの大トリとして、ついに次回作『ひろがるスカイ!プリキュア』の主人公、異世界人の「世界」を渡る人物・ソラ・ハレワタールとゆいとの邂逅が描かれます。

 表面的な「現象」のレイヤーでは作品と作品が違う、ゆいとソラですが。これはもう、深層的な「愛」のレイヤーでは結ばれているわけですから、力強く「次」の「世界(作品)」へ進んでいこう、新しいレセプターを開いていこう、といういきおいなわけです。

 プリキュアシリーズは言葉(物語)で結ばれる愛のバトンだから、「無限」。

 現代世界の様々な「分断」を前提に、人々が再び「あつまる」「パーティ」の再生までを描いた『デリシャスパーティプリキュア』という作品。

 当ブログでは第1話の感想から書いていた「大ごはん共同体」がこの1年で出現して、動き出しました。


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)


 「大共同体」、「共同体」という言葉になんとなく一つの場所にとどまっているイメージがあったので、いざ、最終回で描き出した「大共同体」が、むしろ次の「世界」へと移動していく、広がっていく志向性のものだったというのが、最後まで想像よりもひとつ先のものを描いてくれたという感じです。

 放映が始まった頃は新型コロナのオミクロン株の最初の大流行期で、物理的な「分断」がリアル的にもクルーシャルな頃でした。

 しかし、物語をとおして表面的な「現象」のレイヤーで離れていても、深層の「愛」のレイヤーでは結びついているという世界観を掘り下げ、「有限」のリソースの奪い合いの世界観は「無限」のリソースでのシェア可能の世界観へ。それこそ、レセプターが開いている視聴者は、そんなにも物理的な「分断」自体は怖くないんだなと感じられるようになった方もいるかもしれません。

 そんな怖くないという「安心」を土台に、意識は外の「世界」へ、次の「世界」へ、複数の「世界」へ。

 奇しくも、リアルも海外との行き来がぼちぼち再開され、宇宙開発も飛躍的な進展期に入り、物理学では多元時空だなんだと、僕たちの「世界」が広がっていくタイミングとも付合したりしつつ。

 フィクションと現実は異なるという大人の当たり前の前提は踏まえた上で、「世界」とは我々の現実世界をも射程に入れながら、広がっていきそうで。

 僕たちも結びつきながら、プリキュアシリーズは20周年突入で、現実を生きる我々はどんな「世界」を開いていくのか。新しい作品と出会うことで開くのか。セクレトルーさんのように新しい仕事を目指すことで開くのか。ナルシストルーのように新しい何かをつくることで開くのか。新しい人と出会うことで開くのか。

 個々の例はともかく、今、僕としては本作の視聴を終えて、『ひろがるスカイ!プリキュア』も含めて「世界」というものにワクワクとした気持ちを感じています。

 「愛」のレイヤーで結びつき合いながら「無限」のリソースで「世界」を移動していく・広げていくという出現した「大共同体」の動きは、まだこれからなのだった!

(追記/)

 Rubyさんのこちらの記事が素晴らしいので、追加で紹介しておきます。プレシャスは最後は(個人とかのレベルを超えた)「より大きなもの」と一体となるから、拳に∞マーク(キュアプレシャスの胸のリボンの意匠にして「結」でもある)が浮かぶんだけど、それ(その領域ではリソースは無限)は「時間」だったのではないか的なお話です。名文。↓

「プレシャスな人生の物語」: HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察/穴にハマったアリスたち

 『あなたの人生の物語』、僕も読んでみよう〜。



(/追記)

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・ブログに書ききれない考察を「つぶやき」で展開しておりました。「トゥギャッター」さんにまとめさせて頂いていたので、よろしくです(14000PV達成感謝!)。↓

『デリシャスパーティプリキュア』最終回時点での考察のまとめ/togetter

→『映画デリシャスパーティプリキュア 夢みるお子さまランチ!』のBlu-rayが予約開始です。

・当ブログの映画の感想はこちら。



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第44話の感想〜無限の世界観をパンチで、有限の世界観の中で得られなかった自分の無価値感に苛まれる大人に撃ち込むということへ
→次回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第1話の感想〜大人になったら末法の世になってたが、子供の頃のマクシム(自分との約束)を胸に虚構のヒーローが現実でもう一度立ち上がるへ
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