20230218sora

 相羽です。

 『ひろがるスカイ!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第3話「シクシクホームシック!泣かないでエルちゃん!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

●『ひろがるスカイ!プリキュア』は「エトス(倫理)」の物語

 『ひろがるスカイ!プリキュア』は「ヒーロー」が題材なのですが、「正義」の物語というよりは「エトス(倫理)」の物語という側面が今のところ強いと思うのですね。

 「エトス(倫理)」……とりあえず、ソラさんもましろさんも「なんかイイ子」なのは伝わってくると思います。その、「なんかちゃんとしている」という無形の「何か」が「エトス(倫理)」です。

 日本は、わりと、というかかなりまだ「エトス(倫理)」がちゃんとある国だと思っています。

 東日本大震災の時に、非常時でも人々が整然とお店に並んでいたのが世界で話題になったりしましたが、ああいう、「なんかちゃんとする」ということを無形のものとしてみんなで共有している。それが、「エトス(倫理)」です。

 そういう意味で、ソラさんが第1話(感想)で「マクシム(自分との約束)」として表明していた「ヒーロー」のあり方。「ヒーローは泣いてる子供を絶対に見捨てない」「相手がどんなに強くても、正しいことを最後までやり抜く、それがヒーロー」とかは、まさに「エトス(倫理)」だと思います。

 「正しいこと」、ソラさんとましろさん、視聴者の我々も含めて、「なんかちゃんとしたこと」として共有している無形の大事な「何か」。

 (主にリアルの方が)動乱の時代だからこそ、そんな「エトス(倫理)」に寄り添う物語であろうという見方はひとつ、面白いかもしれません。


●「神話」VS「イデオロギー」という物語の視点

 そして、「エトス(倫理)は「神話」を共有しているからこそ成立すると言われています。

 「神話」、今の日本人、そんなに共有してるかな? って感じですが。僕は現代日本は漫画・アニメ・ゲームなどが世界最高水準で素晴らしいので、現代日本で生きてるとそれらを通して自然と「神話」の変奏が、無意識化で共有されていくのではないだろうか? という仮説を持っています。

 本当、プリキュアや少年ジャンプをとおして、無形の「エトス(倫理)」をつちかってる感、あるある。

 「神話」と対抗するのは「イデオロギー」で、まあ、「イデオロギー」はなんか殺伐と殺し合いとかになりそうですよね(笑)。

 「神話」は、もっとフワっとしたものです。

 「神話」がついつい「イデオロギー」にとって代わられがちな現代。

 プリキュアシリーズは以前から、「神話」を取り戻す志向性を持っています。

 今回の『ひろがるスカイ!プリキュア』は、第1話の感想から書いてますが、従来のシリーズよりもさらに「神話」的な要素が強いと感じております。


●「天球」で踊るプリキュア=「神話」

 今回、第3話の「神話」的な要素。

 目を引いたのは、ましろさんがエルちゃんのために綿毛を飛ばすシーンですね。

 綿毛が舞う、というとても「神話」的な場面です。

 裏山……「山」というのがまずは「神話」的には「異界」の象徴なのですが……

(あと、二人で山というシチェーションは、20th作品ということもあり無印『ふたりはプリキュア』第6話のオマージュ要素だと思います。雪城ほのかさんが「熊よ!」って言う回。そういう意味で、本作は人類史的に普遍的な観点からと、プリキュア20周年記念的な観点からとの、「神話」の変奏、連奏となっているようです。)

 ……「異界」で舞う綿毛という、日常とは違う風景。徐々にいつもと違う「神話」的な世界に入っていく感じがあり、意識のレベルが日常の状態からは上がっていくような感覚が出てきます。

 「神話」っていうと、なんか難しいものなのか? と、いわゆる「神学」とかの方をイメージしてしまう方も多いのですが、「神話」は本質的には自然に「舞う」ような性質のものです。難しく頭を使って考える方向では、実はあまりない。

 神話学のジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』という本にイカした話が載っていて。

 ある国際的な宗教会議のために日本を訪れたキャンベルは、別のアメリカ代表である哲学者の方が、日本の神道の司祭にこう言っているのを聞いたというのですね。


「私たちはたくさんの儀式に参加したし、あなたがたの神殿もずいぶん見せていただいたが、そのイデオロギーがどうもわからない」


 で、相手の日本人は考えにふけるかのように長い間をおいた後、こう言ったと。


「イデオロギーなどないと思います。私どもに神学はありません。私たちは踊るのです」

(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』/早川書房より)


 この話、超カッコいいと思うのは僕だけですかね。

 少し飛ばしたことを書くと、ここ数年の(リアルの方の話の)動乱を抜けた後の素晴らしい世界では、こういう日本的な「踊る」類の「神話」(とそこから導かれる「エトス(倫理)」)が中心的な役割を担う世の中になってもイイのではくらいのことを思ってたりします。

 で、「踊り」、「神話」。

 「スカイランド神拳」は、「神拳」だとすると、やはり「スカイランド」にも「神」の概念があるっぽい点もとても気になりましたが、何よりも放つ前に色々と舞うのが良かったですね。あの「踊り」感こそが「神話」ですよ。

 勝手に、「イデオロギー」とかを中心的なものにして「神学論争」みたいなの始めたりしないでほしい。私たちの「神話」は、踊るんだぞい!

 そして、「踊り」はステージを上昇させて、変身シーンでの変身バンクでの「舞い」へと突入していきます。

 上述したキャンベルの「神話」の本の中に、「天球の音楽」という大事な概念が出てくるのですが(詳しくは後々語っていきたいところ)、変身バンクの空間、あれ、「天球」がモチーフですよね?(第2話で初めてましろの家が映され、ヨヨが出てくるところでも何かを象徴してると思われる「天球」が映っている)。

 作り手の方たちの中にキャンベルを参照にしてる方がいるとまでは主張しませんが、いづれにせよ、僕としてはテンションが上がり過ぎる作品です。

 「天球」で踊り狂うキュアスカイさん、超カッコいい!

 すぐに競争と合理と神学論争の方向に行ったりしがちな世界に表明してあげたい、「私どもに神学はありません。私たちは踊るのです」。

 これが日本で、アニミズムで、神話で、だから、「プリキュアは踊るのです」。

 キャンベルのこの本、とてもよいですよ。↓




●「神話」は「家族」の話へ

 「神話」は、とりあえずは「物語」的には、神と人間の関係、親と子の関係……とかが描かれていきますから、僕が作品の中に「神話」を見始めている『ひろがるスカイ!プリキュア』でも、とりあえず、親と子の関係に今話では焦点があたっています。

 三重構造になっていて、


1. ましろとましろ父の関係

2. エルちゃんとエルちゃんの父母の関係

3. ソラとソラの両親の関係


 が抽象的なレイヤーで重ねて描かれています。

 「1」と「2」が最後に重なるのが、「物語」としては上手い! と分かりやすい点ですが、ラストのラストでソラのソラの両親に関する気持ちに言及するましろに対して、ソラが自分は大丈夫と自分を後回しにするような返答を返す「3」は、より物語縦軸での大きな物語を予感させるレイヤーになっています。

 第1話でもソラさんはあからさまに自分(ソラ)のことよりもエルちゃんを優先するべきという趣旨の言動をしていて、このあたりはソラさんの「ヒーロー」をめぐる縦軸の物語でも大きい意味を持ってきそうです。

 個人的には、現段階ではちょっと「自己犠牲」的な趣がある「ヒーロー」感があるソラさんと、「自己実現」的な「ヒーロー」になっていきそうな予感があるましろさんとで調和していき、「ふたり」で本当の「ヒーロー」が、令和の時代の「神話」が、「プリキュア」が立ち現れる、みたいなものを期待しちゃったりしているのですが。

 そんな感じで、次回は虹ヶ丘ましろさんが変身してキュアプリズムが登場の模様。

 次週までに、ソラましラブラブ絵を描いて放映に備えたいんだぞい!

・Twitterもやっておりますので、フォローしてやって頂けたら喜びます〜。↓



・今年はpixivも再開しているので、プリキュアファンアートなどよかったらどうぞです〜。(10ブックマーク感謝です。)↓

ソラ・ハレワタールさん/pixiv

→『ひろがるスカイ!プリキュア』主題歌シングル



→キュアフレンズぬいぐるみ



→前回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第2話の感想〜時空、時間、運命、広大な世界で出会った二人が新しい手帳にこれからの物語を描いていくへ
→次回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第4話の感想〜聖あげはとソラ・ハレワタールの幼少期の理不尽に対して、虹ヶ丘ましろが現在の鍵として立ち現れてくるへ
『ひろがるスカイ!プリキュア』感想の目次へ