20230225soramashi

 相羽です。

 『ひろがるスカイ!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第4話「わたしもヒーローガール!キュアプリズム登場!!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

●『ひろがるスカイ!プリキュア』の「幼少時」と「現代編」という二つのレイヤー

 聖あげはさんの「親の都合でのお別れ」を中心とした、


・「幼少時の理不尽」


 と、時が流れて現在で直面することになる、


・「現代編の理不尽」


 とが、並行描写で描かれています。

 本作は20th作品ということもあり、20年前の子供だったプリキュア視聴者が抱えていた悩みと、20年後の大人になってから待っていたもっと大きな大変な出来事と、みたいな感じ。

 幼少時、現代編の、両方の「理不尽」に対して。虹ヶ丘ましろというキャラクターがキーとして描かれるのが今話です。


●『ひろがるスカイ!プリキュア』での「成人へ向けての儀式(イニシエーション)」と虹ヶ丘ましろというキャラクター

 「現代編」で描かれる悩みは、一つはいわゆる「成人にあたっての自立」のお話です。

 『ひろがるスカイ!プリキュア』は神話っぽい神話っぽいとこのブログの感想ではずっと書いてきましたが、「成人における自立」も、「神話」の重要な要素です。

 どこかのタイミングで、これまで守ってもらっていた場所・人から離れて、自分の足で歩き始める。それが、人間で人類で、普遍。「神話」は普遍を物語っているものだから、将来に向かってどのように歩いていくのか、という今話で当初ましろがグルグルしていた悩みも、つまり「神話」的なものでもあるのです。

 あげはさんは、「幼少時の理不尽」だった「親の都合でのお別れ」に対して、自分の意志で「ソラシド市」に戻ってきたというかたちで、「成人へ向けての儀式(イニシエーション)」を行おうとしているキャラクターです。

 今話ではあげはさんと並行描写的な位置付けにあるソラさんも、「幼少時の理不尽」として「行ってはいけないと言われていた森」で命の危機におちいった時に、助けてもらった「本物のヒーロー」の背中を追いかけて「ヒーロー」の求道をすることをとおして「成人へ向けての儀式(イニシエーション)」を行おうとしているキャラクターです。

 明確に「決断による分断」をとおして「成人へ向けての儀式(イニシエーション)」を行おうとしている二人に対して、ましろには将来になりたいものとか何もない! とましろは悩むのですが……。

 ところが、あげはの方は「最『強』の保育士」を目指すといい、ソラの方はひたすら体を鍛えたりして、どちらも「強さ」を目指しています。

 それはイイことのはずなのですが、「より強いものが現れたら負ける」という「理不尽」を覆す類の「何か」はまだありません。金属バッドで武装したとして、次に相手がもっと強い武装できたら? 最後は核兵器でも持つのか? ソラさんも、まだ序盤の敵のカバトンさん相手にピンチになってしまってる状況です。もっと強い敵が現れたら? もっと肉体を鍛えればいい? その方策でイイのか?

 そんな二人が、心のどこかで意識していたのは、むしろましろさんの方でした。ソラは「ランニングを続けたら、ソラちゃんみたいに強くなれるのかな?」と問うましろに対して「ましろさんは、今のましろさんのままでイイんです」と返し、あげははあげはがもっと悲しくならないように泣かなかった幼少時のましろに本当の強さをみたと語ります。

 二人がましろにみたものは、「優しさ」。

 もっと強い金属バッドで武装しなくてもよいような、どこまでも体を鍛え続けなくてもよいような、二人とは別系統の「強さ」。

 子供の頃から時間が経ってみれば「最『強』の保育士」を目指すルートに入っているあげはに、「ヒーロー」の求道ルートに入っているソラ。どこかで、そのルートに入らないで済むなら一番イイと分かってる。

 「決断による分断」で「成人へ向けての儀式(イニシエーション)」へと向かっている二人だけど、ましろの「決断以前の未分化」は、とらえ方をかえると「すべての選択肢を包摂する優しさ」がまだある。どこかで「決断」して専門分野を絞って「強さ」を求めざるを得なかったものたちを包み込む、いわば「『メタ』強さ」がそこにはある。

 あげはとソラからのましろへの敬意は、どこかで、その「ルートに入る以前」の「優しさ」こそが一番強いなら、もう「ルート」に入っている自分たちを自己否定することになってしまう、という切なさをはらんでいます。

 それでも、ましろはやっぱり眩しい。「幼少時の理不尽」編で負った傷をそのまま肯定してくれるのは、ピンクで姫で「優しい」で強い、虹ヶ丘ましろのような人間なのだから。


●『ひろがるスカイ!プリキュア』のソラ・ハレワタールという自棄をはらんだ主人公

 いよいよ、「現代編の理不尽」がやってきます。作中でも、たぶんリアルでも。

 それはけっこう大きな理不尽で、たとえば「自由を奪われる」ような類のことであるようです。

 子供の頃に観た『ふたりはプリキュアMaxHeart』最終回(感想)で、雪城ほのかさんが「私たちの心の中の宇宙は誰からも自由だわ」と言っていた。けど、20年経ってみたら触手で自由が奪われ、口は塞がれたりしている。(プリキュアシリーズで触手で拘束されるのはネタにもなってるけど、いちおう、「自由を奪う」表現として分かりやすいからというのがあります。)

 さらにクリティカルなのは、子供の頃にみた「ヒーロー」に憧れて頑張って頑張って頑張ってきたけど「自由」にはなれてないソラさんは、どこか「自棄」的なあり方を抱えています。こっちの方が、本当に一人の個人としては「現代編の理不尽」という感じ。

 第1話でもソラさんは自分よりエルちゃんを優先すべきという言動をしており、前回第3話のラストでも自分が親元に戻れないのは別にイイという趣旨の言動もしており、なんか自分を後回しにする性質がみられます。

 どこかに、そもそも「行ってはいけないと言われていた森」に自分が行かなければよかったのに、みたいなことを思っているのかもしれない。「ヒーローの出番です!」と自分を鼓舞しながら、どこかで、「ヒーローに出番がないのが一番イイ」と分かってるのかもしれない。自己否定がどこかにつきまとっている、ちょっと「無理をしている」女の子像。


 「私なんか、放っておいてくれれば」(ソラ・ハレワタール)


 つい、口にしてしまう本音。

 誰かを助ける「ヒーロー」を標榜しているのに、自分のことは「放っておいてくれれば」と思っている。

 物語論的にはソラさんは「さまよえる跛行者(はこうしゃ)」タイプの主人公で、明らかに何かが「欠けて」いて、その「欠けたもの」を埋めて調和を取り戻すまで、物語を跛行し続ける。


 「『私なんか』なんて言っちゃダメ。ソラちゃんは私の大事な友だちなんだから」(虹ヶ丘ましろ)


 そのソラの欠けているものを埋めるのは、というか神話論的にはソラの欠けた半身はましろである……という示唆が描かれます。

 ソラがどこか潜在的に自己否定的で「ヒーロー」を求道する自分自身を本来的には「空(から)」であった方がイイ存在だと思っているのなら、ましろはそんなソラの自己否定の部分(「私なんか」)こそを否定しよう。

 ちょっと複雑だけど、そんな二人。


●『ひろがるスカイ!プリキュア』のちょっと飛ばした運命とか神話とか縁起のレイヤーのお話

 以上が、「幼少時の理不尽」のレイヤーと、「現代編の理不尽」のレイヤーの二つから見てきた今話ですが、どうもさらにもう一層奥に、虹ヶ丘ヨヨさんの言葉でいうところの「運命」のレイヤーがある作品のようなのですよね。

 ヨヨさん曰く、ソラとましろの出会いは「運命」。あんまり今から飛ばしたことを書くのもあれですが、「神話」的には、ソラとましろは何らかの高次の次元では二人で一つだったものが、現在物語られている「現象」の次元では二つに分かれてる状態みたいな感じなんですよね。

 ソラが戦う時に震えてるのは、まだ半身が欠けた状態だから。

 この、「本来的には二人で一つだったものが、この世でまた二人で一つだった状態に戻り、調和をなす」というモチーフは、「神話」的には「結婚」の本来的な意味です。

 百合とか同性婚とかの社会の話でもなく、神話論、物語論の話としてここの部分の文章を書いてます。

 「神話」的に「結婚」とは? とかの話は、前回の感想でも紹介した神話学者のキャンベルのこの『神話の力』という本が本当おすすめですよ。↓





 (「神話」的な意味での)「結婚」、精神の調和がおとずれている状態。

 ソラさんはおそらく一人でどれだけ努力や克己を重ねても、欠けた状態なので真の「ヒーロー」にはなれない、という物語を背負った主人公で、とても「神話」的。

 ソラさんというキャラクターの「実存」は「世界(構造)」と反映し合っていきそうで、たとえばそれが「ソラシド市」と「スカイランド」の二つの世界の関係の調和……みたいな物語につながっていきそうなのか? とか、現段階ではやや飛躍気味のことを書いていますが、とにかく僕好みの作品で心を鷲掴まれています。

 次回は、「初代」オマージュでもありそうな、二人で一つの合体必殺技(プリキュアマーブルスクリュー的な?)が出る模様。

 欠けていたものが、相補い始めるという「神話」のはじまりなのです。

 「神話」と分断された現代人に物語られはじめる『ひろがるスカイ!プリキュア』というのもアリな印象です。

 上にあげたキャンベルの話とかだと、惑星(ほし)の神話は、全体と部分が一致しているような(仏教とかの発想の方向の話のやつね)類のものでもあるので、ひろプリも惑星の神話と一体であり、日曜日の午前中に記すこのひろプリ感想の文章にも、神話は宿るのだ! と「キリッ」っとした感じの佇まいで、今週の感想を書き終えたいと思うのでした〜。

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・今年はpixivも再開しているので、プリキュアファンアートなどよかったらどうぞです〜。(14ブックマーク感謝です。)

 いちおう、フレーバーテキストもアップしておきます。


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 ソレは神話と縁起の世界から繋がっている運命。身一つで天(ソラ)から下りてきたアナタの、居場所になれたなら。

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 あるいは千の顔をもつ英雄になれなかった少女の休息。瞳を閉じて。アナタの囁く言葉に耳を傾けていると、天球の音楽が聴こえてくる。


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 こちらの絵です〜。↓

がんばるアナタの居場所になりたい/pixiv

→『ひろがるスカイ!プリキュア』主題歌シングル



→キュアフレンズぬいぐるみ



→前回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第3話の感想〜なぜプリキュアは踊るのか?天球の音楽で舞う日常と非日常の境界のお話へ
→次回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第5話の感想〜禁忌を犯して欠けているソラさんの英雄譚にましろさんという天球の文脈の半身が加わり物語のスケールが大きくなってゆくへ
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