『ひろがるスカイ!プリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第36話「 あげは、最強の保育士失格!? 」の感想です。
ネタバレ注意です。
ようやっとちょくちょくプリキュアの感想が書けそうなくらいには、色々落ち着いてきたかもな感じです。
『映画プリキュアオールスターズF』の感想も、時間をみて書きたいと思ってるのですけどね〜。
今回は、あげはさんの心の浄化が一つ進むお話。
『ひろプリ』のメイン四人(エルちゃんはいったん置いておきます)は、ましろさん以外幼少期に何らかの自分自身の無価値感を感じる体験をしていて、それが彼・彼女らの動機になっています。
ソラさんは、行ってはならないと言われていた森に立ち入って迷ってしまい、シャララ隊長に助けられた。(自分が森になんか行かなければ)
ツバサ君は遊覧鳥から落下して、飛んでみせたお父さんに助けられた。(自分が落ちなければ)
あげはさんは両親が離婚して、今回登場してきた恩人の保育士の方に寄り添ってもらった。(自分にもっと価値があれば、父母も離婚しなかったかもしれないのに)
ソラさんのストーリーが、自分自身の無価値感を埋めるように独りで肉体の強さを求める「ヒーロー」像を追っていたところから、ましろさんがきっかけで、自分自身のかけがえのない価値を前提として他者に開けている「ヒーロー」像を歩んでいくかたちへと昇華されていく(その過程で「シャララ隊長の(ある種の)呪い」は手放していきます)物語であったように。
今回は、あげはさんの大人になっても癒えていない心の傷が、昇華され始めるエピソードであったと思います。
当初、あげはさんは家庭の事情で大事な人(他ならぬあげはさんですが)と離れなくてはならないたける君に、幼少期の同じように家庭の事情で大事な人たちと離れてしまった自分を重ねて、たける君を「かわいそうな子」として見てしまっています。
たける君=幼少期の自分自身(あげはさん)ですから、これでは、あげはさん自身も大人になってもかわいそうな子どものまま。
かわいそう(自分自身の無価値感)を抱えた人が、何とか自分自身の価値を証明しようとして「強さ」を求めるというのがよくあることではあるのですが、そういう方向で「強さ」に傾倒していくのが、どこか歪であることは、ソラさんの物語や『映画プリキュアオールスターズF』のキュアシュプリームで既に描かれています。
あげはさんが体現していくべき「最強」は、そういう方向の「強さ」ではなく、もっと自分自身のかけがえのない価値を前提とした上で、他者との人間関係の助け合いなどの上で成立するもののはずです。
ここで、みんなの前でつらさを見せられない(こっちの方向は、初期のソラさんと重なるちょっと歪な「強さ」)あげはさんに、ツバサ君が言葉をかけます。
つらいことや悲しいことも含めて「そのまんまのあげはさんでいればいい」ということをツバサ君が言ってくれるのですが、これが、今の大人になったあげはさんのみならず、意味合い的には両親の離婚を経験して自分自身の無価値感を感じていたであろう、幼い頃のあげはさんにまで染み入っていく感じのセリフとなっていたと思います。
あげはさんは、無価値ではなかったのです。
このシーンはけっこうテクニカルで、ツバサ君はあげはさんに言葉をかけているのですが、ツバサ君はツバサ君自身にも「そのまんまでいい」を言っている、という構図になっています。
ツバサ君も、たぶん自分でそろそろ気づいている。
あの日お父さんに助けられて「飛ぶ」を目指した(何かを目指して頑張るのは大事なことですが、ソラさんもツバサ君も、自分自身の無価値感を払拭したいようなところから始まっているので、それは、癒していきたい事項だと思うのです)けれど、本来的には、飛べないプニバード族のありのままの自分でも、自分という存在にはかけがえのない価値があるということに。
ツバサ君の物語も、何らかのかたちで飛べないプニバード族としての自分との和解に進んでいきそうな雰囲気ですかね。
たとえ物理的に飛べなくても、今回ツバサ君があげはさんを気にかけて言葉をかけているのは、ちょっと大変な状況にある人に手助けの手を差し伸べるという、落ちた子どもを助けるために飛ぶと同じ方向の、大事な人のために何かをしたいという気持ちを行動に移すということです。
ツバサ君の言葉もあって、ありのままの自分であげはさんがたける君と対話するシーンは、あげはさんが自分自身を癒すプロセスを行なっているような場面になっています。
大事な人と離れることになること。たける君が無価値だからなんかじゃないし、たとえ離れても、たける君はありのままでかけがえのないたける君という存在だということ。
それは、あげはさんも同じです。両親が離婚したのはあげはさんが無価値だったからなんかじゃないし、お姉さんたちと離れても、ましろさんと離れても、悲しいことも経験したのも含めてありのままの聖あげはさんという存在で、自分自身にもかけがえのない価値がある。
ありのままの自分自身に自然なかけがえのない価値を感じているから自由で、他者も同じくらい自由で大事な存在だと捉えられる。というところで、プリキュアシリーズがずっと描いてきた「他者の大切さ」という話に繋がっていきます(あげはさんとたける君が手を繋ぐ、象徴的な絵もありました)。
『ひろプリ』は「初代」タイムリー試聴世代が現在ちょうど新社会人になってる頃という層へ向けてのメッセージを込めて作られている説的にも、その世代にもぜひ伝えたい類のメッセージですし。
わりと30代でも40代でも50代でも、何ならおじいちゃんおばあちゃん世代になっても、自分自身の無価値感にとらわれていて、今ひとつ他者に対して開けられず、自由を感じられないという方も多い気がするので、普遍的な題材だな……という印象です。
最近のソラさんがめちゃめちゃ好きですが、あげはさんも一つ吹っ切れてより自由な感じになりそう。
「初代」からずっと描いていることですが、自由な心、体、あり方に少したどり着いた人たちが、周囲にそれらの「よきこと」を伝播させていく(ちょうど前回が、物語当初よりはだいぶ自由になったソラさんのあり方が、心身に負荷を負っていた野球部エースのたまきさんへと伝播して彼女が少し「よき」状態になる話でした)のがプリキュアシリーズという印象です。
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→前回:『ひろがるスカイ!プリキュア』第23話の感想〜ソラ・ハレワタールさんが自分自身への無価値感という「迷宮」から抜け出し始めるへ
→次回:男子プリキュア・キュアウィング/夕凪ツバサ君の自身の本来性と和解し自由の土台と再会するという物語へ
→次回:『ひろがるスカイ!プリキュア』の5話で「二人」に24話で「家族」になった後の今後の「プリキュア」たちの物語の展望
→次回:「ましろさんは、今のましろさんのままでイイんです」〜無条件の自分をゆるせるかというソラ・ハレワタールとカイゼリン・アンダーグのお話
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