相羽です。

『キミとアイドルプリキュア♪(公式サイト)』第1話「キラッキランラン♪ キュアアイドルデビュー!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 べつに大きい武道館でライブするようなアイドルじゃなくても、家で歌ってる子どもからは明るい気が出ていて周りのみんなが明るい気持ちになる。それは大切なものだ、というところが起点になってる感じでよかったです。

 神話的には、ある共同体の危機の際に神様的なる力を持った誰か(英雄・救世主など)を探すのだけど、自分自身こそが神様(の化身のようなもの)であった…という類型に入りそうなわりと普遍的な物語のフォーマットを踏襲してる感じ。

 もともと、現代のアイドルは、人間の精神の歴史とかに位置付けるなら宗教的なもの(巫女とかですね)と関係があるんじゃないか、的な分析・評論はたくさんあるのですが、そんなにも難しい方向にいかずとも、世界が暗くなっている(最近感じる人も多いというような話)から明るい光が必要で、それは、なんか歌ってる子どもの明るい陽気だったりする。そういう何気ないものに、神的なパワーがある。少しずつ世界を明るくしていく。みたいなことなのだと思って、そういうベクトルにはとても共感でした。

 と言いつつもう少し深い話もしてみると、うたはエネルギーレベルで神様(的なるもの)と同調したみたいな話だと思うのですね。

 咲良うたは人間ですが、そういう常世のレベルで現実として現れてるものは全て、根本では神様(的なるもの)と繋がっている、という考え方があります。特定の宗教というより、万物の大元のエネルギーみたいなもの、日本風にいうとお天道様みたいなものがある、という世界の捉え方ね。わりと、日本的な捉え方です。

 で、この宇宙ではエネルギーレベルで同質のものが引かれ合うという法則がある。なんかピンク色が好きだな〜という人は、そもそもその人自身がピンク色と「合う」調子の「気」のようなものを発してる、みたいな話ですね。

 ゆえに、同じ法則にのっとってエネルギーレベルで神様(的なるもの)と同調した者は、神様そのものである大きな力を発揮する。神話とかね。

 じゃあ、神様(的なるもの)と同じエネルギーの性質って何なのかというと、愛と光なんです。

 家族の中で歌っていたうた、喫茶店で歌っていたうた、漫画家さんを応援しようと歌っていたうた、そして、特に「アイドルプリキュア」を探せなかったという自分否定の意識に陥って落ち込んでいたプリルンを励まそうとしてうたが歌っていた時、何気ない女の子は愛と光になっていて、エネルギーレベルで神様(的なるもの)と同質になっていた。

 ゆえに、劇中の神様(的なるもの)の化身的な非日常的な存在である、アイドルプリキュアになった。その時はもう同じ存在なのだから、なれるのは道理です。

 壮大で尊大なことでなく、神様(的なるもの)、愛と光は、ささやかな日常の中にある。

 いわゆる日本的なアニミズム(ざっくりとは、万物万象に神様が宿ってる、八百万の神様的な世界観)の方向ですが、プリキュアシリーズはずっとこれです。

 敵側のチョッキリ団はたぶん「切断」モチーフで、この人間、日常の何気ないものと神様(的なるもの)とのつながりを切断しようとしてくるわけですが(神様が愛と光なので、そことのつながりを切断されると闇になる)、その「切断」の力を縫合し、世界に愛と光をもたらす。ゆえにアイドルプリキュア。

(ただ、「切断」は悪縁を切ったり、よい使い方もできますから。そこは従来のプリキュアシリーズと同様に、ただの否定される存在ではなく、プリキュアサイドとの何らかの相互性を持つ存在として描かれていくのかもしれません)

 あと、おもむろに力士が出てくるあたりは、初期プリキュアシリーズに時々放り込まれてたクレイジーさを思い出しつつ、でも笑ってしまって。やっぱり、軽さ、明るさ、笑顔が大事なんだよなと思ったのでした。

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