『キミとアイドルプリキュア♪(公式サイト)』第2話「私、バズっちゃってる!?」の感想です。
ネタバレ注意です。
●救世主伝説の開幕
救世主伝説でした!
私はただのアイドルじゃない。
光で闇を照らす救世主。
歌って、踊って、ファンサして。
真っ暗闇をキラッキランランにする、アイドルプリキュアなんだ。
(『キミとアイドルプリキュア♪』第2話より)
ええ!? それはシロクマさん(相羽さん)が神話とか好きだからそう感じるんじゃないの!? と言われそうですが、これは、かなりど真ん中な救世主伝説の形式の作品だと思います。
ざっくりとは、世界が闇に覆われる時、というか時代の大転換期に、光をもたらす救世主が現れるという神話的で普遍的な物語フォーマットです。
基本的に人間は神様的なる光と繋がっていてその時は「キラッキランラン」な状態なのですが、それが切断されてしまって(チョッキリ団のモチーフ)闇の状態になることがある。特に、時代の転換期には闇が多発する。
そういう時、神様的なる光との繋がりを取り戻して、闇を光に変える存在(救世主)が現れる。
ピカリーネ様もストレートに光モチーフですし、もう一つあるのはリボンモチーフ、結びつきモチーフなのですが、これは素朴に人と人との繋がりとかのシンボルでもあるかもですが、もっと深いところでは神様的なる光との繋がりのシンボルだと思われます。
だから、ビッグキラキラリボンが切断された時、神様的なる大いなる光との接続が途切れて、キラキランドは闇に覆われた、みたいな話なのだと思われます。
神様とは、愛と光です。
それと繋がっている時、人間も神様的なる愛と光になります。
前回の第1話の感想時点で、「自分自身こそが神様(の化身のようなもの)であった…という類型(の物語)」と書いておりましたが。
自分自身の光(神様的なるもの)が、プリルンやみことの闇を照らしたという物語的な儀礼を通過して。
自分自身が神様的なるもの(救世主)=アイドルプリキュアであると咲良うたが自覚する、神話的にはとてもドラマティックな第2話だったのでした。
●自分で自分を否定しないこと、自分自身も神様的なる大事な存在であること
では、神様的なるもの(救世主)=アイドルプリキュアが救済する闇とは何か。
これは、1話と2話で繰り返し描写して強調しているのでおそらく確かで、自分で自分を否定すること、自己否定ですね。
神様は、自分で自分を否定することを、いちばん悲しむのです。
1話に続いて、プリルンがカッティーに「ダメダメですな」と言われて、「プリルンのせいプリ…」と、また自己否定に走りかける。
そこで、自己否定という神様的なるもの(光)との切断が起きかける間際、キュアアイドルが立ち上がる。「ゴメンね」「プリルンのせいなんかじゃないよ」と言葉をかける。言葉が光になる。光は、プリルンの途切れかけた神様的なるもの(光)との接続を縫合し、プリルンに光が戻る。
自己否定に対して、救済する、というアイドル像なのですね。
自己否定とかさ。今の世の中現実も大転換期で、あふれてる感あるじゃないですか。さらにそっちに進んでしまうと、時には自棄に至ってしまう人とかも。
なので、自己否定によって神様的なるもの(光)との接続が断たれ、闇に落ちかけた人に、言葉、歌、踊り、ファンサなどを届けて光との接続を取り戻すプロセスなんだと思ってみてみると、上記のプリルンとのやり取りでキュアアイドルが立ち上がっていく一連の流れは、救世の物語だー! と涙ぐんでしまういきおいがあるのでした。
●神様的なるものについてはあんまり研究しないこと
「キュアアイドル研究会」が誕生するのですが、そこはかとなく「神ごと」はあんまり研究しないものという感じになってるのもよかったです。
これはけっこう不思議な話の領域なのですが、「神ごと」はあんまり研究しないことになってるのですよ。
キュアアイドルを撮影禁止なのも、現実への配慮でもありながら(お子様の「なりきり」を無許可で撮影とかは問題ありますよね)、これ、日本の神社に撮影禁止のところがあるのとかと同じ方向の話だよな〜と思ったのでした。
研究するっていうか、上述したように、あなたも神様(的なるもの)なのですよ。
だから少しフライングで予想してみると、こころの物語は、アイドル(神様的なるもの)を研究対象としてとらえていたところから、自分も神様(的なるもの)=アイドルだったんだ! と気づいてキュアキュンキュンに変身するところが最初の山場なんじゃないですかね。
それは、まったく正しくてありがたい、神話的な物語なのです。
●世界が混迷する時、同じ救世の魂を持った共鳴者が世界に散らばっているというモチーフ
お互いがアイドルプリキュアだとまだ知らず、咲良うた、蒼風なな、紫雨こころが交流だったりニアミスだったりしてるのは、気持ちが高まる表現です。
お互い救世の救世主なのですが、今世ではまだそのことを自覚してないのですよ。
これもやや不思議な領域の話で、日本の「神ごと」の「龍」の文脈で、時代が混迷の時に、「龍」の魂を持った救世の人的なるものが、散り散りに、そして同時多発的に現れる、集まってくるみたいな話があるのですが。
うた、なな、こころは、そういう運命レベルでの魂の共鳴者なのですよ。
この、散り散りの一見無関係の人々が、救世主的に共鳴して世界に現れてくる…みたいな物語モチーフ。
今、この令和7年の最新の進行形の物語だと、『ワンピース』もやってるのですよね(「Dの一族」関係のあたりね)。
神話・伝説・伝承とか的には、レムリア大陸の伝説とかが題材になってると思うのですが、あんまりこのあたりを詳しく書いちゃうと長くなるのでまだ書かないでおきますが。
数年前から、神話いいよ! ってことを言ってるわけですが(笑)、神話はある程度ふれておくと、プリキュアシリーズ、特に今作『キミとアイドルプリキュア♪』はとても楽しめると思います。
時代の混迷期、大転換期に現れる、「龍」、「救世主」的な話だと、ジャンヌ・ダルク、空海などがあげられることもあります。
ジャンヌ・ダルクにまつわる「救世主」的な話が、そもそもキリスト教のイエス・キリストの「救世主」的な話と関連しているわけですが。普遍的な話としてはまだあまり書かないでおきますが、とりあえず、後世においてジャンヌ・ダルクをそういう文脈で「救世主」に結びつけた書物とかは多数あるわけで。
ええ!? じゃあ、この2025年に咲良うた=キュアアイドルに「救世主」を名乗らせるって!? とか考えると、ほら、面白くなってきましたよね!(笑)
●女神
まだ書かない話(ええ!?)。
ここまで書いてきたように、アイドル=神様的なるもの、光、神話、「神ごと」的なるものに関連させてると思われる本作ですが。(グミ占いもグミの販促でありながら占いでちょっと「神ごと」っぽいですし、1話の力士もギャグ描写でありながらも、力士は明らかに「神ごと」関係です。力士に限らず、しめ縄の向こう側って、神様の領域なのですよ。)
わりと、じゃあ咲良うた、キュアアイドルが日本の神様だと誰(がモチーフ)なのかというのは、女性の神で、既存の系統では予測できなかったっぽい、っていうあたりから、ちょっと予想できるかもと思ってたりします。
まだ、書かないでおきますが。
●神様的なる力とは笑顔であるということ
キュアアイドル=神様的なる光だとしても、大ごとではなく、彼女の最大の固有性は笑顔だというのが最高だと思ってます。
みことの「わらって!!」に、うた自身の方も救われてるんですよね。
自己否定に走りそうになった時、自己否定に走っているような誰かに何かをしたい時、まず、大事なのは笑顔。
「笑うかどには福来たる」って本当ですからね。そういう意味では、咲良うたは福の神でもあります。
今回の記事ではちょっと複雑な話とか、やや不思議な話とかも書きましたが、全体として混迷の2025年を笑顔で楽しくアイドルプリキュアの推し活やってるうちに、あらなんか、抜けちゃってよい感じになってきたじゃないとなれるような、陽気を放ってる作品だと思います。
主題歌でも「歌って踊ってファンサして Change The World!」と歌ってます。
被害者意識/加害者意識に分けられて自己否定で傷つけ合うような世界は完全に終わらせて、新しい世界へ向かうタイミングがきているのです。
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・今年一年は咲良うたさんの推し活をする気運が高まってきたので(ええ!?)、新しくプリキュアシリーズの話をする専用のXのアカウントも作りました! フォローしてやって頂けたら喜びます〜。↓
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→前回:『キミとアイドルプリキュア♪』第1話の感想〜愛と光はささやかな日常の中にあるということへ
→次回:『キミとアイドルプリキュア♪』第3話の感想〜時に自分から逃げたくなることがあっても、うたを縁に自分の光へと回帰するということへ
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